フューチャリスト宣言にこういうくだりがある。
茂木 アメリカには、日本では評価されないし頭角を現しづらいタイプの人、つまりビジョナリーがいますよね。
自分ですべてをこなすわけではないけど、ビジョンを示す。
梅田 自分では手を動かさなくても、駄目なものは駄目と言って、きちんと方向を示して全体を動かしていくタイプの人はいますね。
日本の現場主義はこういうタイプを嫌う傾向にあります。
茂木 そういう人がいないことが、何度にもわたる日本のIT敗戦の原因ではないかと思うんです。
今回の出張中は、会社のアーキテクトと同行した。
彼は、どんな質問にも的確に答えるし、迷いがないので驚いた。
他のエンジニアもマネージャーも彼の意見を第一に開発を進めるのだ。
なるほど。こういう立場の人間が不在なのが日本のソフトウェア開発の弱点かもしれないと思った。
前職でも、アーキテクト的な人はいた。
たいていどの職場にも一人ぐらい重鎮みたいなエキスパートがいる。
ただし、そういう人はたいてい「変人」であった。
変人であり、他の職場の同じような変人と仲が悪かったりする。
さらに客先で、後方から味方を撃ちまくるようなこともあるので気が抜けない。
声が大きく、技術的に詳しいので、蔑ろにはできないのだが、権限があるわけでもないし、カリスマ性もない。
結果的に、ビジョンを共有して作っていくというよりは、長々と続ける会議の中で無理やり話を合わせていくしかない。
権限を持っているマネジメントは技術に疎いため、こういう人を調整していくことが主な業務になる。
では、日本でビジョナリー的な人間を一人用意すればすべてが解決するか、というとそうもいかないだろう。
日本で、これを阻害するのが「やっかみ」である。
どうしても年齢による上下関係が心理的に働くし、スーパースターになるような存在は認めたがらない。
北米の企業だと、誰が何歳とか関係ないし、人種や文化も違うから年功序列のような尺度は一切ない。
だから素直にこういう立場の人の話を聞けるし、健全なディスカッションが出来ているように見える。
このあたりの文化的な阻害要因がなくならない以上、日本でビジョナリーが機能するのは難しいのではないだろうか。
で、そのためには今の鎖国状態を解くしかないだろうが、それはもっと難しいだろうなあ。
というわけで、日本出張で調整のための残業は続くのであった。
posted by りもじろう at 10:05
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