2006年04月17日

結果を出すぞ!

さて、文句ばっかり言っていても始まらない。

「アメリカではこうだった。日本はだから駄目なんだ。」

的発言をしているだけでは単なるアメリカかぶれの馬鹿である。だが、アメリカに学ぶべき点があるのも事実で、それを取り入れるべく、周りの人間に働きかけることもしばしばあった。
だが恐らく単なる「アメリカかぶれ」と思われていたに違いない。

結果を出そう。

素直にそう考えて、進めてみようと思った。効果的な結果を出せば、周囲を納得させられるに違いない。
ソフトウェアにおける効果的な結果、とは少ない工数と短い納期で高付加価値な商品を作り上げることであろう。

幸い、ヨーロッパから大規模な案件の依頼が舞い込む。これを絶対ものにするぞ。
開発の方針は大方下記のとおり。

・外注は使わない。自ら設計、開発をする。
・アジャイルで進める。
・ドキュメント生成、テストなどは出来る限り自動化する。
・オープンソースを最大限活用する。

外部のクライアントからの依頼があっても、基本的に受注生産ではない。魅力的なプロダクトを作って、多くのお客さんに使ってもらうのが会社の商品開発の基本にある。このクライアントをパイロットカスタマーとして開発を行う。

であれば、より高付加価値な商品を自ら考え、改良し、作り上げるのが望ましい。自分たちで仕様の大部分を決められるのであれば、アジャイルで進めるのが正しい姿だと信じた。

不思議なことに会社のオフィシャルなソフトウェア研修というのは外注管理方法だの、CMMだのと、管理手法ばかりである。そんなんで魅力的な商品が生まれるのか甚だ疑問である。

このプロジェクトを二人で進めることになった。もう一人は新人みたいなもんで、色々教えながらのスタートだ。
まずはアーキテクチャレビューまでにプロトタイプ作成だ!


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2006年04月14日

再び日式

期待されているといっても素直には喜べない。

部署は変わったものの、日本での開発状況は、私の赴任前と何も変わっていなかった。
ヨーロッパの子会社に丸投げで、リリース直前に納期が間に合わない事態が発覚する。で、部長、課長が1ヶ月現場張り付き。

後ろで見てても出来ないものが出来るようにはならない。

そんな進め方をやっている人たちは、つまり「わかってない」人たちだ。
彼らに評価されているといっても、喜べない。

流石にこの事態をその後何度も繰り返した結果、子会社からソースを引き上げ、国内で開発するという流れに進む。理由は、

「外国人はだめだ。残業しない。」
「日本にもってくれば、がんばって徹夜してでも、納期を守ろうとする。」

またか。
管理能力の問題じゃないのか。プロセスの問題じゃないのか。
残業量の問題なのか。

結果的にこの戦略は成功する。
確かに日本人は残業して乗り切る。

それだけではなく、少しずつではあるが、若手は自分の手で作る経験があるものが集まっているため、自分たちなりに工夫してプロセスをカイゼンしていく。苦しいボトムアップである。

マネージャーのパワーポイントにはCMMとかUMLとかキーワードだけが踊る。
本人は内容は何もしらないし、使えもしないが。多くの日本のマネージャークラスの問題は、自分で勉強したり、決断したりしないことだ。

アメリカの元ボスは金曜日は会社に来なかった。勉強する日だといっていた。確かに技術的なことをよく知っていた。的確な判断を下すため、日々技術の習得に相当の労力を費やしていた。

日本では正反対で、そういうことは若手に任せればいいという風潮がある。
若いエンジニアは「わかっていない」上司を尊敬できるわけもなく、残業代が出るから残業している。

結局のところこの問題は、プロジェクトベースで仕事を回すのではなく、おっさんどものポジションを維持するためにスキルに関係なく仕事をアサインするという、終身雇用的で、人材の流動性が恐ろしく低いという状況に起因しているといえる。

オーバーヘッドが大きく、無駄も多いので、利益率はあがらない。
でも雇用さえ守れればそれでいい。

私もこのシステムのおかげで今の仕事がある。感謝感謝である。
ただし、この仕組みの延長線上には、まったく夢が描けないのではあるが。
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2006年04月13日

出社

帰任命令以来、二人して自棄酒をかっ食らっていたが、この事態により速やかに終息した(妻は)。子供に悪影響が無ければいいのだが。
妻が病院に診察にいったところ順調とのことだ。しかし安静にしなければならないときに引越なんて。会社のせいで。私のせいで。

すまん。

彼女はそんな状況でも健気にムービングセール用のサイトをさくっと作って、ばしばしと売り捌いていく。逞しい。惚れた。

アメ車の新車とドイツ車の中古車を所有していたが、ネット掲示板に掲載し両者とも無事売却となった。
当初の予想通り、アメ車は状態が非常によかったにも関わらず、なかなか買い手が見つからず、価格もかなり安い値段を設定する羽目になった。一方でドイツ車は我々の元の買値より高く売れてしまった。

アメリカにいるうちに馬鹿アメ車を乗ってみたいと思っていたので、この事態は想定していたが、やはり日本車・ドイツ車を買うに限る。

日本の家もネットで探し、いくつか候補を絞った。たまたま親切な不動産屋がいて、候補の物件を見に行ってくれて写真を送ってきてくれた。
FAX流すだけが仕事と思っているような周旋屋が多い中、こういう仕事をしてくれる業者が増えてくれればと切に願う。これぞサービス業。

さて、無事に日本の新しい部署に出社することになる。
部長と久しぶりの再会。
職場の話、問題になっていることなどを色々と話をしてくれる。

「君には、来年にでもマネージャーになってもらおうと思っている。どんどんリーダーシップを発揮してもらいたい。」

この部長、一方で私の上司となった課長のことが甚く気に入らないらしく、恐ろしい剣幕で怒鳴りまくっている。
一方で私には非常にフレンドリーだ。
うーん。なんなんだこの処遇の違いは。まあ、期待されているってのは悪くない。

アメリカでの底辺的立場から、うそのような状況である。
タグ:家探し 引越
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2006年04月12日

帰国

社内での仕事探しが始まった。

が、幸いすぐに行き先は決まった。
昔一緒に働いたことのある部長が、是非にと言ってくれている。

かつての仕事振りを高く評価してくれていたのだ。私のパワーポイント能力も捨てたものではなかったのだ!
そして、ソフトウェアの開発能力については一切問われなかったりする。

まあ嘗ての日本式の仕事ぶりはちゃんとアウトプットを出していたし、元々評価されていたからこそ、アメリカでの組織立ち上げ要員として選抜されていたのだ。今となっては複雑な心境だが。

仕事は見つかったが、1.5ヶ月ほどで帰国しなければならない。
子供の保育園探し、家探し、アメリカの家の退去手続き、家具のムービングセール。いじけている暇などなかった。

そして、ここへきてまた驚くべき事態が起こる(いや起こした)。

妻の妊娠が発覚する。
このややこしいタイミングに!



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2006年04月11日

決心

家族を犠牲にして、あるいは家族の存在を認めないで日々仕事に没頭する日本人ビジネスマン。
景気が右肩上がりの時代ならよかったのかもしれないが、この時代、会社に忠誠を誓っても裏切られることも多い。

景気が悪くなると、個人個人のパフォーマンスなどほとんど見ることなく、組織ごとざっくり解体、切り離し、身売りがおこる。隣の部は年末に解体された。各々独力で仕事を見つけるか、子会社に出向となる。そんな時代でも、私の周りの人々は同じ行動パターンを繰り返している。

不思議だ。

私はアメリカ人エンジニア的な生き方のほうが、個々人としては幸せなのではないかという結論に達した。

しかし、会社の言いなりにならずに、好き勝手生きるということではない。当然そんな都合よくはいかない。結果がすべてである。

アメリカでの生活では、非常に屈辱的な思いをしたが、基本には

「こいつらに絶対負けるか」

という思いがあった。
そのため昼夜問わず、猛烈に勉強し、働き、結果を出すことに集中した。そして見返してやろうと思った。若き日の藤原正彦氏のように、英語・技術力のコンプレックスにも悩まされ続けたが、チャレンジし続けた。

がんばった甲斐あってか、結構いい感じで結果も出て、自分のポジションもしっかりしてきたのが赴任して2年もたったころだ。

ドラマ的に、この猛烈な努力によって心が打ち解け、最後は高い評価を得て、すばらしいチームメンバーとなる、はずだった。

日本の出向元組織が解体という話になった。日本の別の組織がアメリカの部隊を管轄するという。

「まあ、そっちに移るのも悪くないわな。」

などとのんきに思っていた。

そして、部長に呼ばれる。

「おまえ、日本に帰ってくれるか。」

「え?な、なんでですか?組織メンバー増強っていう話になるって聞きましたが?」

「うん。赴任者って金かかるねん。赴任者一人で若いの二人雇えるやろ?」
(大阪弁はイメージです)

結局、私よりも若いの二人のほうがええ、っちゅうことですね。じゃあ、お前辞めたら三人雇えるやろ!

まあ、結論としては、日本でのぬるま湯生活が長かったおかげで、早々簡単に技術レベルを上げられるもんでもないということだ。結果を評価されなかったのだ。
そして、負けん気が強くなっていたため、カジュアルトークする間も惜しんでいたのが、コミュニケーション能力に問題ありと思われた感も否めない。

これ、アメリカのエンジニアなら即首という意味である。

ビバ日本人!

というわけで、帰国を強いられた(首を言い渡された)。自分が面接し採用した人々から。

これを自宅に帰って妻に告げると、大変ショックのようだった。私が夜中に悔しくて目が覚めると、妻が泣いているのが聞こえてきた。
アメリカでの生活は非常に快適だった。子供も保育園に友達もたくさんできていた。とても順調な生活が、一瞬にして終わりを告げる。会社のせいで。私のせいで。

すまん。

このとき、心に誓った。絶対に自分の力で生きたいように、生きてやる、と。


だが、その前に職探しだ。元部署は解体されているので、戻るところが無い!


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2006年04月10日

移住・独立したい理由2

日米の職場のカルチャーの違いについては、今後も触れて行きたいと思う。
基本的に、どっちが正しくて、どっちが間違っているという話でもないのであろう。(もちろんビジネス的な勝敗はありうるだろうが)

ただ私は、アメリカ赴任経験を通して移住・独立したいという思いにいたったのである。

アメリカで何年も仕事をしていたあるマネージャーは、それでも日本のほうが効率がよいという。
彼に言わせると、残業もしない欧米のやり方はおかしい、能力のある人間が1.5倍働けばパフォーマンスも1.5倍になるはず、ということらしい。
査定も残業が多い人によい評価をつける、と言い切っている。

そしてこの人自身、残業、休出を繰り返しており、ほとんど家族とすごす時間もない。
そのことに興味もない。

確かにそこに良い面もあるかもしれない。しかし、その良い面とは会社にとってであり、個人にとって快適な状況だとは言えない。

何で個人の生活を犠牲にしてまで、会社のパフォーマンスをあげなければいけないんだ?
会社が自分の一部のように考える日本のやり方がそう錯覚させているだけじゃないのか?
これは村上龍氏の「盾・シールド」がいう、盾として会社を位置づけているからに他ならない。

アメリカみたいに個人の生活を重視していても、会社のパフォーマンスが高い会社はたくさんある。
日本企業で残業をいくらやったってGoogleのようにはなれない。

ちなみに上述のマネージャーは「Googleなんてバブルだ」と言い切る。
ウェブ進化論」読んでくださいよ。

職場に、仕事のプレッシャーからうつ病になってしまって、残業禁止、出張禁止になっている人がいる。その人は早く帰る理由を常に、
「ドクターストップのためやむなく」
と言ってまわる。出張も、
「xxx社だけには私が行かないと始まらないので、医者に頼んで許可してもらった」
という。ただし一人では行ってはいけないらしい。

なんでそんな言い訳がましいことを言う必要があるのか。堂々と帰れ。
そんなんだからうつ病になるんだ。

私は毎日午後6時に帰っている。
「娘を風呂にいれるため、家族で食事をするため」
といってやっている。
無駄な会議も出ない。

恐らく相当変人だと思われている。

会社を盾に使うのを辞めようと思ったからだ。

シールド(盾)シールド(盾)
はまの ゆか

「個」を見つめるダイアローグ すぐそこにある希望 日本経済に関する7年間の疑問 (生活人新書) 10歳の放浪記 こころの底に見えたもの
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2006年04月07日

ワークスタイル日米比較2

一方でシリコンバレーのソフトウェアエンジニアはスキル中心である。

自分の手で何が出来るかが勝負なのであって、パワーポイントのアイディアだけ出して、自分が作ったなどとのたまうことなど仕事だと認めていない。

外注に出すなど、金の無駄と思っている。
如何にすばやく結果を出すか、残業しないか、がアピールポイントとなる。

実際、シリコンバレーに限らず、グローバルスタンダードがこのスタイルなのであって、日本の私の職場環境が異常なだけだったのに後々気づくのだが。

ある日、部長が

「今日はみんなでランチにしよう」

といって車連ねて、わざわざハイウェイに乗って二つぐらい隣の市のBarへ向かった。(といってもアメリカはコンビニいくにもハイウェイのらないといかんのだが)

で、当然のようにビールをぐびぐび。
基本的に夜集まって飲みに行くことはない。夜は家族の時間と決まっている。

ある若手のエンジニアが笑いながら、

「ジョージ(仮名)、前の会社のときに、このバーでお前にレイオフ言い渡されたなあ。覚えてる?」

「おお、そうだったなあ。はっはっは。」

愕然。この人首になった話を笑っていっているし。また雇われているし!
まあ会社が調子よければ人を取るし、だめなら減らす。っていうだけで、首になったほうもスキルがあれば別の仕事に就けるし、面白くなかったら変わるしってな感じだ。

日本では、ちょっと景気悪いっていうと自殺者一杯ですよ。鬱病一杯ですよ。
なんなんだ、この軽さは!

現にこの部長、一年後に会社を辞めるのだ。理由は

「日本への出張が多いのはしんどい。家族と過ごす時間が減る」

というものだった。
他にも入って一ヶ月で辞めた若手エンジニアもいた。面白くなかったんだって。それで競合会社にヘッドハンティングされていった。

あるセールスと客先でプレゼンする約束になっていた。
電話で、

「じゃあ、明日よろしくね。僕がプロジェクターもっていくから」

次の日、そいつから連絡がない。
問い合わせると、

「ああ、今日辞めたよ、あいつ。」
あのなあ。

こののりはなんなんだ。愛社精神無いのかー。
若手エンジニアは日本の社長の名前もしらん。興味ない。
日本じゃ、自分が社長みたいに会社を語るやつ一杯なのに!

しかし、こんなのりだからと言って仕事が出来ないわけではない。
日本で外注使って1年以上かけ、何億も金使っているようなプロジェクトを引き継いで、

「クオリティが低いので使えん」

といってさっさと捨て去り、自分たちでさくっと作ってしまった。
十数人で。

で、俄然クオリティ高い。ドキュメントしっかりして使いやすい。わかりやすい。マネージャーがビジョンをしっかり示して、何を作るのかをエンジニアに言い渡す。エンジニアはそれをしっかり聞いて、形にする。爽やかなトップダウンである。勿論ディスカッションを通して若手の意見も聞く。

日本ではマネージャーに作るべきビジョンが無いから、会議会議で総意がまとまるまで会議だ。組織間で仲が悪かったりするからしょーもないことでも会議。外注丸投げだから、

「確認いたします。」

「その変更ですと一ヶ月かかります。」

あの、GUIの表示文字数変えるだけなんすけど。
ってなことがしょっちゅうだったのに!

posted by りもじろう at 10:11 | Comment(0) | TrackBack(1) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月06日

ワークスタイル日米比較

私はアメリカと日本のソフトウェアの開発スタイルの比較をするほど経験は無いので一般的な議論はできない。よって私が知っているのはあくまでも

「シリコンバレー的ベンチャー開発手法 vs 日本の大手電機メーカー」

の一部に過ぎない。

この二つの職場環境を行き来して、カルチャーショック受けまくりだったわけである。

もとハード主体であった電機メーカーのソフト開発ってのは悲惨である。
プロセスが基本的にハードウェアの開発手法から派生しているためだ。ハード開発の経験者がマネージャーだからだ。
怒涛のウォーターフォールなのだ。
しかも子会社、孫受け会社というヒエラルキー的構造で開発するのだ。

これは部品を町工場から納品させるのと同じで、日本メーカーの基本的構造といえよう。勿論ソフトもハードも根幹を支えるパーツは内製する。その内製部分に関われれば運がいいのだが、如何せん、そういう仕事は20%程度しかない。
後の80%の人の仕事は何か。外注丸投げである。
丸投げも仕様書作成ができればいい方で、パワーポイントで四角と線で絵を書いてお仕舞いなんてこともあった。ドキュメントまで外注に書かせ、さらに実務を行う社内のエンジニアも契約だったりする。

そういう仕事をする人が多くなると、最重要プロジェクトと称して100人体制で仕事を始めても80人ぐらいは使えなかったりするわけで、結局外注に膨大な金をかける。勿論丸投げなので、モジュール間の(外注間の)コントロールがうまくいかなかったりするのはしょっちゅうであったりする。
スケジュールは守れず、最後にうまくいかないことに気づいて、意味無く残業しまくる。外注が必死で作業している後ろでぼーっと見守っているだけなんだが。

80%的仕事のなかで、「ソフトウェアエンジニアだ、上流設計だ」と自己満足している人が多い中で、私は流石に手と頭を使わないのがいやで、何とか自分で作らせてもらえる部分を見つけていたわけである。

こんな環境にどっぷり嵌っていた人間が、シリコンバレーの生え抜きエンジニアと同じ環境に立たされて、どれほど居た堪れない、惨めな状況に陥ったか少しは想像できるだろうか。
posted by りもじろう at 10:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月05日

移住・独立したい理由1

昨日はだいぶ端折って、サラリーマン辞めたいっす、と書いたが、そのあたりの理由をこれからくどくど書いてみよう。

この切欠を与えたのはシリコンバレーへの2年ほどの赴任がある。
それまで日本で、そして大企業でソフトウェアエンジニアとして働いていた。対象はB2B向けのシステムものとアプリである。

今思い出すと大変恥ずかしいが、それまでの自分はソフトウェアエンジニアとしてちゃんとしたキャリアを進んでおり、そのために日々がんばっているんだと思っていた。

アメリカの開発チームは、私自身が面接官をやって、あるベンチャー企業からエンジニアを10数名引き抜いて急ごしらえで作ったものだった。
結果的に、自分が面接して採用した人々が自分の上司となったわけだが..

どたばたと開発が始まった。
すぐにチームの部長となった男に呼び出されることになった。
「で、君は何ができるんだい?」
今まで自分が「ソフトウェアエンジニア」と信じてやってきたことを説明したが、最終的にその部長は、
「分かった。君をxxxの下につけるから彼の言うことを聞いて開発がんばるように。」
って、日本との橋渡しとか、ビジネスデベロップメントとか、上流設計とかやるんじゃなかったのか?下っ端ですかい?

これは恐るべき屈辱感であった。
それなりに日本での評価があったからこそのアメリカ赴任であったわけだし、マネージャーという肩書きでレベルの高い仕事をせいといわれていたのに。
今までやってきたことをすべて否定されたかの様な反応であった。(というか否定された)

しかし、この屈辱感はほんの序の口だった。
真の意味での屈辱の日々がこれから始まったのだ。
posted by りもじろう at 09:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月04日

はじめに

今日からこのBlogを始めます。
テーマはタイトル通り、住みたいところに住むというのを如何に実現するか。

詳しくは今後触れるとして、大手企業のサラリーマンとして1年に1回ペースで転勤を余儀なくされてきた。
この経験により、日本的なビジネス中心の生活パターンから、家族と地域社会とビジネスとをバランスよく実現できる生活パターンに変えていきたいという思いが強まっている。

このためには、サラリーマンをやめても生きていける基盤を構築し、そして住みたいところ(ニュージーランドなんだが)に住むということを同時にやってしまおうという計画を進行中なのである。

このあたりの記録と日々の思いを綴っていきたい。
posted by りもじろう at 09:05 | Comment(3) | TrackBack(0) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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