2008年07月10日

男は度胸

前職の同僚2人と同行の3人が遊びにきた。

面白いことに、モントリオールとオタワで打ち合わせがあったのだという。

喜んで、家に呼んででBBQを楽しんだ。

相変わらず、事業部長や上司の批判から、今後のビジネスの話で盛り上がる。
私も前職からのアメリカのお客のプロジェクトを引き受けているので、他人事でもなく、一緒に盛り上がった。
彼らは北米担当なので、これからも一緒に仕事をすることになる。

こういう大企業のノリは懐かしいし、これはこれで面白い。
ちょっと暢気で余裕がある感じもする。

こういうのが合っている人にはやはり大企業がいいのだろうなあ、という実感である。

中国に赴任中の私より10歳近く若いエンジニアも同行していたのだが、彼がいった。

「よく決心して、会社辞めて来ましたね。自分にはそんな度胸はないですよ。」

まあ、普通はそういう反応だろう。

「でも、いいですねえ、こういう生活が出来るんなら。」

これは半分社交辞令だろう。

昔、AIWAというメーカーがあった。アジアで安く製品を造って、非常にパフォーマンスが高いと評価されていた時代があった。
それから数年して、中国、台湾の安売り攻勢の前に、差異化できずあっという間に赤字企業に転落。本体のソニーに吸収されるも終にはブランドも消えた。

メーカーは本当にぎりぎりのところでやっているのだなあ、という実感であった。

例えば、為替とか、石油の値段一つとっても、あっという間に少し前の世の中の常識がすごい勢いで変わっていくのだ。今後何が起こってもおかしくない。


なので、自分に不本意な仕事をやらされているのであれば、次を積極的に考えて、行動していかないといけないのだと思っている。

受身でいては、何かあったときにリカバリーできないかもしれないし、会社をあてにも出来ない。

そういう意味で、私個人としては、大企業で不本意な仕事を続ける度胸はなかったと言えるのだ。

ちなみにこの彼、日本人という理由だけで中国人女性にはすごくもてている、と嬉しそうに言っていた。
彼が不本意ながら仕事をしているということはないようだ。
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2008年05月29日

日本のIT産業は自滅したいらしい

池田信夫blogの10年は泥のように働けには笑わせてもらった。
日本の年功序列型の賃金プロファイルは、若いとき会社に「貯金」し、年をとってからその貯金を回収するようになっている。これは、実はグラミン銀行などと同じ村落共同体型のガバナンスだ。

ちょっと前に私も会社と個人の関係の日本とカナダでの違いというのを書いた。まさに村社会。
「入社して最初の10年は泥のように働いてもらい、次の10年は徹底的に勉強してもらう」
というのをどっかのじじいが仰ったそうだ。

定年になった知り合いのおっさん(朝日系系列子会社役員)が愚痴っていた台詞を思い出した。
・最近、本社からの天下りでいきなり社長になったやつが、となりの部屋にいるのにメールで指図してきた。失礼極まりない。
・我々が若いころは、会社で問題があったら休日も手弁当で対応したものだ。最近の若いやつは....(以下略)
こういうのを老害というのでしょうな。
それなのに、経営者がそれを自覚していないばかりか、若者に丁稚奉公を説教する現状は、きのうの記事のアップルと比較すると、絶望的というしかない。日本のIT産業を救う道は、マックス・プランクの次の言葉しかないのだろう ― Science advances funeral by funeral.
それは時間的な意味として、やはり絶望的ということ以外ない。

どうやら自滅したいらしいですな。
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2008年05月21日

イノベーションは生まれない

池田信夫blogの人材鎖国のエントリーが興味深い。
この10年で、日本のエンジニアの数は1割へった。特にITゼネコンは3K職場というイメージが定着してしまったため、優秀な学生は外資系を志望する。
妻と私も二人分、これに貢献したことになりますな。
それでも79%の日本企業が「外人エンジニアを雇う気はない」という。
それはそうだろう。Skilledエンジニアの多くは、安月給で働いてくれないし、日本語できないし、空気読めないし、残業しないし、すぐ辞めるし。そんな要求を受け入れられる我慢強いエンジニアは日本人以外ありえない。
根本的な問題は、ここまで若者に嫌われても直らない、ゼネコン型の多重下請け構造にある。
さらに言えば、非若者はそれが問題とは思っていないということであろう。
正社員だけを過剰保護する雇用慣行のおかげでSI業者が人材派遣業になってしまったため、企業のコア部門にITのわかる人材が育たず、情報システムでイノベーションが生まれないから若者のIT離れが進む・・・という悪循環が急速に進行している。
分かっていないということすら自覚していないおっさんが、思いつきだけでいろんなことやるか、あるいは口の達者な企画担当の口車に乗せられて変なことをやリ出すのが多かったりする。そこにイノベーションはない。
資本鎖国を求める日本経団連でさえ人材鎖国には危機感をもち、外国人材の受け入れを提言しているが、厚労省は動かない。
そうは言っても、外国から人材を受け入れたいなら、そもそもそれに見合うものを提供できないと、誰も来ないと思われる。忍耐強い日本人エンジニアすら引き止められない状況でどれくらい外国人エンジニアを呼べるだろうか。
まあアメリカなどの移民受け入れ先進諸国に受け入れてもらえなかった"Skilled"エンジニアなら来てくれるかもしれないが。

知り合いの人材派遣会社の課長が言っていた話だ。
「最近は、エンジニアが全然いないよ。景気がいいからじゃなくて、質が悪すぎる。こんなのエンジニアっていって、派遣していいのかって思うのばっかりだ。そんなの派遣しなきゃいけないから、ほんと嫌になるよ」
お前が言うな。

以前、とある有名な会社と仕事をしたときに驚いたことがあった。
その会社が出してきたモジュールのJavaのClassが一つなのだ。なんと、何千行ものコードが一つのjavaファイルで作られていた。

そして、そのファイルを作った担当者は派遣社員だったのでもういない。
そして、そのファイルは、実際のプロダクトに使われているので、後任はだましだまし使っている。(肥大化が進む)

どうやったらそんなコードを書けるのか聞きたい。それはもう一種の才能であろう。

すごいイノベーションである。
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2008年03月04日

カナダとNZではどちらが良いですか?

カナダとNZではどちらが良いですか?

という質問を何度かいただいている。
当方もそれが当面の悩みである。(まあ、まだカナダの永住権は取れていないので、悩む必要もないかもしれないのだが。)

仮に数年後にどちらでも選択可能になったとして、どちらかを選ぶ必要がある。

というわけで、オークランドとオタワ、ついでに生活経験のある東京とシリコンバレーも含めて、比較検討してみよう。
オークラランドについては、殆ど経験がないので、人伝の情報+妄想。
あくまでも個人的主観ということで。カッコ内は点数。

1.仕事(日本人である私が仕事を得やすいであろう順)

東京(8) >> シリコンバレー(6) > オタワ(4) > オークランド(2)

エンジニア+日本人という観点でいくとオークランドは最も日本人であることを活かせないと言えよう。

2.給与

シリコンバレー(8) >> オタワ(6) > 東京(4) >> オークランド(2)

エンジニアの待遇からいって、こういう感じがする。オークランドは為替的にも給料的には不利。

3.住宅

オタワ(8) > オークランド(6) >> 東京(3), シリコンバレー(3)

オタワがやはり安い。シリコンバレーは住環境はいいが、コストは異常にかかる。

4.サービス業(サービス業の人々のクオリティということで)

オタワ(6), オークランド(6), 東京(6) > シリコンバレー(2)

シリコンバレーは、良くも悪くもアメリカであった。

5.治安

オタワ(8) > オークランド(5), 東京(5) > シリコンバレー(2)

オタワは良くも悪くも小さい都市である。オークランドと東京でどっちが治安がいいのか不明。
シリコンバレーは地域差があるので、まあ全体として。

6.子供の日本語教育

東京(8) >> シリコンバレー(5), オークランド(5) > オタワ(2)

補習校の充実度から考えるとこうなる。


7.食い物

東京(8) >> シリコンバレー(5), オークランド(5) > オタワ(2)

日本人的には、やはり和食、魚介類は欠かせないであろう。
シリコンバレーは意外とうまい魚介類が手に入る。
オタワでも探せば結構なんとかなるのだが。

8.気候

オークランド(8) > シリコンバレー(6) > オタワ(4) > 東京(2)

すごし易さでいうとオークランドであろう。次はシリコンバレー。
オタワの冬の極寒でも東京よりましという感想は、自分でも意外。

9.通勤

オタワ(8) > オークランド(6) > シリコンバレー(4) > 東京(2)

通勤電車がいやなのと、自動車の渋滞レベルから比べるとこうなるか。

10.旅行

オークランド(8) > 東京 (6) > シリコンバレー(3), オタワ(3)

個人的にはやはりアジアの旅行圏は面白い。北米の旅行圏て基本的にどこも北米仕様で面白くない。ヨーロッパも案外遠いし。

11. ご近所付き合い

オタワ(8) > オークランド(6) > シリコンバレー(4) > 東京(2)

ご近所の付き合いとか助け合いは、オタワがすばらしい。(田舎度の裏返しとの説も)
日本人同士の付き合い、助け合いも日本では殆ど忘れ去られたものが、海外の日本人コミニティにはある。
海外での日本人の交流は、本当に嬉しいし、楽しいものである。


オタワ 59
オークランド 59
東京 54
シリコンバレー 48

というわけで、個人的に悩むオタワ、オークランドはほぼ互角なのであった。
まあ、仕事とか、住宅と旅行を同列で比較しているので、数値自体まったく意味がないが、それぞれのカテゴリーがどれくらい重みがあるかが今後の決断に影響するであろう。

数年かけて悩んでみようと思う。

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2008年02月20日

カナダ人にも辛い日本の労働環境

日本に出張しているカナダ人の同僚とチャットしていたときのことだ。

同僚「それにしても、お前はよくこんな環境で仕事していたな。」

彼は日本の顧客とのミーティングや開発作業を夜遅くまでこなし、疲れきっていた。顧客からのひどいプレッシャーのなかで長時間の作業を強いられている状況だ。

私「すごい大変だろう?日本じゃそれが普通なんだよ。10年以上私もそんな感じでやってきたからな」

同僚「俺なんて、一日でも、もうだめだよ。頭の中が痒くなってきた。」

私「それがいやだから、カナダに移住したんだ。」

同僚「I don't blame you.(分かるよ)」

私「日本人の自殺率はOECDの国の中でもトップレベルなんだ。想像できるだろ。」

同僚「これじゃあ、そうなるよ。彼ら(顧客)もこのプロジェクトで自殺してほしいよ。」

こらこら。そりゃ言い過ぎだぞ。これは相当つらい思いをしているようだなあ。

言葉とか、文化の問題はあるにせよ、彼にしてみれば日本人の働き方は苦痛でしかないし、理解できないであろう。

一方で移住してきた私にしてみれば、言葉と文化の問題はあるが、こちらの働き方は快適である。

そう考えると日本でエンジニアとしてやっていけている人たちであればこちらの会社でも十分やっていけるということだ。逆は成り立たないが。
なのにどうして、もっと日本のエンジニアが外に出て行こうとしないのだろうか。我慢強すぎなのか。

それとも仕事以外の部分で日本が好きで好きでたまらないのか。


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2008年01月08日

就職氷河期

JavaBlackさんのロスト・ジェネレーションというエントリーが興味深い。紹介されているJR西日本の年代別従業員比率というのを見ると30代が殆どいない。

私も2011年問題というエントリーとか、若者はなぜ3年で辞めるのか?とか、書いたことがあったが、前職では37-38歳がピークであった。

私は大学院卒なので、二回就職活動をした。
学部のときの就職活動時は、まだバブルの名残で、接待とかあった。

院卒のときには、景気のいい話はまるでなくなっていて、前職の会社では、私の入社年度が前年度の1/8の採用数であったのを覚えている。
(千人オーダーから百人オーダー。)
こういうことを経験しても人事部門が制度を未だに大して変えないで10年以上もやっているのはかなりの驚きであった。

なので、30代半ばで、40歳以上のおっさんが一杯いるのにどうやって夢(というか目標)を描けばいいんだ、という思いが年々強くなったものだ。
去り行く人材の人と同じく。

JavaBlackさんに勝ち組とか言ってもらっているが、そんな大層なものでは決して無い。
いつ潰れるかもクビになるかも分からない、しがないベンチャーなわけだし。

それでも前職で腐っていくよりましかなと思っただけなのである。

まあ、もし前職に残っていたら、絶対に残業はせず、変人を極め、副業に命をかける、ことを淡々としてたであろう。
やわなん」もそれで創ったんだし。

今の会社で目標を定められない上に、辞められない事情の人は、是非副業で行きましょう。
就職口の無い人は、国外脱出を目指すってのはどうでしょう。







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2007年11月29日

日本人は「生きて」いない

4101308349運のつき (新潮文庫)
新潮社 2007-03


養老孟司の「運のつき」を読んだ。

中国人なら人を表すのに「人」という漢字ひとつで十分です。日本に入ると、それが「人間」になっちゃうんですからね。
「人と人の間」、「人間」というのは中国語では世間のことです。(中略)
それが日本の常識です。ヒトと世間が同じ言葉になっているって「ものすごいこと」だと思いませんか。

そういうなかで考えたことが、「人間」になるか、「人」になるか、です。日本にいるかぎり人間であって、人ではない。

ドイツ人学生がいいます。「日本人は生きられませんからね」。中国人である著者は、それに賛同する。これが中国人とドイツ人の結論です。

むずかしいでしょ。生きるって。こんな簡単なことは、ほかにはないからです。動物ははじめから「生きて」ます。それを籠に入れて、まったく動けないようにして、餌と水が目の前を流れるようにしてやる。それがブロイラーです。だれかの生活がそれに近づいたとき、見ている人から「生きていない」って表現がでるんでしょうね。餌も水も十分、病気にもならず、長生き。でもなんか変。「生きていない」ように見える。



日本以外の国に行くと思わされることがある。
日本製のジェットスキーで楽しむオーストラリア人。日本製のヨットで楽しそうなニュージーランド人。日本製の車を広々とした道で乗り回すカナダ人。日本製のカメラを使うドイツ人。日本製のテレビを広い部屋で楽しむアメリカ人。

なんだか、楽しそうである。で、当の日本人は自分たちの造ったもので、どれくらい楽しめているのだろうか。日本の街行く人々の顔はいつも険しい。

養老孟司のいうブロイラーの鶏が、工業製品という形の卵を産むために存在しているかのようだ。卵を食べるのは外の人たち。

一方で、ブロイラーにとっては籠の外にでると「生きられない」のではないかという恐怖感が付きまとう。だが、本当に「生きられない」のだろうか。

かく言う自分も、そんな状態がいやでそこを飛び出したのではあるが、未だにその恐怖感は拭えないし、「人」には成りきれてはいないのであった。

難しいですなあ、日本人て。
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2007年10月12日

「縮んでいく日本」を読んで

縮んでいく日本という記事を興味深く読んだ。

特にすごいのはアフリカで、年率20%で携帯電話のユーザーが増え、ガボンでは固定電話が数%しか普及してないのに、携帯電話の普及率は50%を超えている。

昔デジタルカメラ出始めのころに、コニカの社長が、日経ビジネスで

「世界ではまだまだ銀塩カメラの普及率すらxx%です。デジタルカメラの便利さはわかるが、銀塩カメラの市場もまだまだ大きい」(詳細は失念)

というようなことを書いていた。
で、結果現在のありさまである。

固定電話が普及しなくてもより安く整備できる携帯というインフラがあれば順番に進む必要はない。

よく言われる老害論争の問題点というのはここにもあるように思う。年寄りは、これが順番に進むと思うのか新しい世界への飛躍が出来ない。

ガボンにキャリアなんかないから、ノキアが端末から基地局からオペレーションまで全部やって、アフリカで大もうけしているという。

ノキアすごいぜ。この発想、日本のメーカーにはできないだろう。
いくら市場があって、やれば面白いと思っても、

「うちは無理だ」

って抵抗勢力の反対で終わるのは目に見えている。
ええ、そんな喧嘩一杯しましたなあ。

まあ、確かにリスクは高いし、やれば成功するわけじゃないので、おっさんの言うことも一理ある。それでも、チャレンジしなきゃ新しい市場は開拓できないと思うのだが、おっさんどもはチャレンジはしない。

まあ、年寄りにしたって、自分の地位を確保したいのは人情なので、それを違うアプローチ打ち破れない若者にも責任はあるんだろうが。
年寄りのせいにして愚痴っても変わらんものは変わらないでしょう。

そうやって日本は小さくなっていくんだろうか。

【未来予測 デジタル産業編・第8回】出井伸之氏に西和彦氏が聞く---その3

それでいて、失敗した大企業の元トップが同じようなことを言ってるのだから不思議である。
posted by りもじろう at 11:51 | Comment(1) | TrackBack(0) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月05日

親の背中を見て育つ

最近、気の置けない知人のNさんと熱く議論することがあった。

移住する理由として、子供を育てる環境が重要なファクターだ、という話になったときだ。

私「日本の学校がですね、あまり期待できないんですよ。今の幼稚園も昔ながらの軍隊みたいな教育をやっているわけです。これはちょっと違うかなと思います。」

Nさん「それはちょっと納得できないな。どんな環境でもどんな学校でも親がしっかりと方針を出して導いてあげれば問題ないはずだよ。」

私「最終的には親の責任だとは思いますが、学校の影響ってすごい大きいと思うんですよ。」

Nさん「北米の学校なんかだと、優秀な人間は優秀だけど、そうでない人間の方が多いだろう。総体としては日本のほうがレベルが高いだろう。」

私「そうかもしれませんが、自分たちの考えるポリシーになるべく合っている学校に入れたいと思うんですよ。横並び的な指導より個性を伸ばせというような。自分が日本の教育をうけてそういう部分でコンプレックスがあるからかもしれないですけどね。」

Nさん「十分個性的だよ!まあ、大学にいけなかった親が子供に大学いかせたいというようなことかな。」

私「まあ、多分にそういう部分はあるでしょうね。」

という感じの展開だ。

面白いのは、そういうNさんは毎日残業で週末も会社のテニスやゴルフで忙しい。子育ては奥さん任せだったりしているのだ。

私としては、なるべく早く帰って、家族で一緒に食事をして、子供と風呂にはいって、一日の出来事を話あって、寝る前に絵本を一冊読み聞かせるというようなことが重要だと思っていて夫婦で実践している。
そしてさらに、学校には期待したいと思う。

Nさん始め、ほとんど家にいないお父さんたちは、どうやって親として子供を導いていく方法を取っているのだろうか。素朴な疑問である。

村上龍が番組で言っていた言葉が印象に残っている。

「家庭を犠牲にして仕事をする人が格好いいという時代があったけど、家庭というのは幸福にするほうが難しいですよ。」


確かに、家庭を犠牲にしてがんばるサラリーマンというのが格好いいという時代は長かったのだと思うし、今だに男たるもの、って思っている人も多いように思う。
家庭というのは幸福にするのは難しい、というスタンスで考えている人は案外少ないようにも思う。

親の背中をみて育つ、の解釈の違いなのかなー。

posted by りもじろう at 21:32 | Comment(3) | TrackBack(0) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月25日

中村修二氏がみた日本の教育

GOETHE (ゲーテ) 2007年 06月号 [雑誌]
GOETHE (ゲーテ) 2007年 06月号 [雑誌]


本屋で立ち読みした。

中村修二氏が日本の教育について書いていた。(恨みを込めて)

要約すると、江戸時代260年を経て作り上げられた今の教育は、

「企業や国のために、滅私奉公する人間をつくること」

なのであり、それに馴染めない自分のような人間は海外に行くか、気付かないふりをするだけだ。

という話であった。
で、今や、その教育が企業や国にとってもうまく機能してないものになっていると。

まあ以前から同じようなことは言われていたように思う。
改めて読んでみると、やっぱり激しく同感だ。

学校も企業のスタイルにも、私も抵抗感があったので、それなりにもがいた時期もあった。
しかし、それほど長い時間をかけて熟成された教育をベースとした文化そのものであるわけだから、そうそう簡単に変わるわけもないのだ。
だからこそ、私も海外逃亡することにあいなった。


他に、

そもそも仲良くしなければならない理由もないのに、皆で仲良くしよう、ということを学校で教える。
そのため、陰湿ないじめが裏で発生する。

というような話もあった。


自分も振り返ると、色んな人間関係では悩むこともあったが、突き詰めると嫌ならそんな関係をやめれば済むだけだった。

皆やっているからと繰り返す残業なんかもこの文化の典型であろう。

ソフトブレーンの宋文洲氏は
「残業やらないと利益が出ない会社なんてやり方がおかしい」
「残業だけでも理解できないのに、サービス残業なんてまったく信じられない。企業は社員を私物化している」
というようなことをどこかで書いていた。
これも激同である。

そもそも残業しないと生活が成り立たないサラリーマンの給与体系がおかしいし。
(こう言いながらも、前職では18:00に会社を帰る瞬間は、気まずい思いが最後まであった。心底、日本の横並び教育って怖いと思う。普通の人にはまず出来ないのは分かる。)


こんな変な仕組みや風土のせいで、家族を犠牲にしたり、悩んで鬱病になったり、自殺したりするぐらいなら、他の学校なり、他の会社なり、他の国なり行ってしまえばいいのだ。
そう考えれば大抵の話は楽になると思うのだが、これまた変な根性論とか努力論で、困難を乗り越えねばいけないという心理が根底にあったりするからたちが悪い。

少なくとも自分の子供たちには、もうちょっとましと思える環境で育ってもらいたいのである。


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2007年02月01日

当然の結末

S部長の企ては結局のところうまくいっていない。

だが、こうなることは大方予想出来ていた。
私自信、良かれと思ってがんばった結果、何度も痛い目にあっているからだ。

NZへの移住を具体的に考え出した時には、すでに私の中では結論は出ていたようなものだ。

多くの部長が口癖のように、「人材がいない」という。
確かにこれは正しい。

ある部長は、「餅は餅屋だ」という。
それも正しい。

進むべき(儲かる)方向に進めるとは限らないのだ。
みんながIBMのようになりたいと思っても、そうは行かない。

では、そういう会社に出資してみよう、とか合弁してみよう、とかいう話にもよくなる。が、多くが失敗しているか、思ったほどの成果につながっていない。

私がアメリカのベンチャーの人間を集めて開発をやっていたときも、日本の母体に翻弄されて、次第に彼らのエネルギーが失われていくのが分かった。

実はS部長は、アメリカのITベンチャーに10億円ほど投資して、完全に失敗した前科者である。(だから他の部長連中も、この人の話を素直にきく訳がない)
人の流動性の低い日本では、母体のカルチャーというのは、そう簡単には変わるものではないのだ。

私のスキルを見て、来てくれ、と言ってくれる会社もあれば、
その意味がほとんど分からない人たちしかいない会社もある。
後者の会社にいて、文句ばかり言っていても何も変わらないということだ。

これから必要なのは、「適材適所でいこう!」ってことだと思う。
だが、今自分がいるこの組織の戦略は、「皆で、雑用王になろう!」ってところだ。

そんなことはすっかり分かっているし、諦めてもいるのに、そんな人々を相手に、時々ついムキになってしまうのであった。
不思議だ。


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2006年10月20日

経済大国の意味

住みやすい街とか、国の豊かさとかのランキングを見ると、人口がそれほど多くなく、国土も比較的余裕のあるところが上位に来ている。

勿論、欧米系の人が作ったランクなので、自分たちの好きな基準で作ってるのだろう、ということも考えられる。


カナダのバンクーバーの近く、ビクトリアに友達を訪ねたことがあった。
友達のお父さんは、配管工か何かの仕事をしている、中流の家庭であった。
家はゆったりしていて、ゲストルーム、ゲスト用バスルームもある。
庭には巨大なキャンピングカーが置いてあった。
すぐ郊外にはロッキー山脈や、美しい湖、ビーチがあり、週末にはそういうところでくつろぐのだという。

スウェーデンのストックホルムに3ヶ月ほど滞在したことがあった。
そこで知り合った大学教授が、週末別荘に招待してくれた。
湖沿いの別荘で、バーベキューをし、ボート遊びを楽しんだ。
国中に、すごい数の湖があるので、ほぼ貸切状態であった。

昔、オーストラリアの友達が、日本のビデオカメラが欲しいというので送ってやった。
お返しにビデオメールを送ってきた。
私が送ったビデオカメラで家の周りを撮ってみたという。
広い家と、広い芝生の庭に、緑あふれる環境が映し出された。
家の近くには美しい川の流れがあった。

みんな普通の中流の家族である。
彼らの生活を見ると、これらの国がランクの上位に来るのが実感できた。

こうした国は債務国家だったりするのに、個人は余裕のある暮らしを楽しんでいる。

そう言えば、オーストラリアの友達が送ってきたビデオは、都心で一人暮らしをしていたアパートで見た。
そこはどこに行くにも便利だったが、部屋は半地下で、窓を開けると一面、駐車場の車のお尻が目の前に並んでいたのであった..

日本はGDPは世界2位の経済大国だが、はたして豊かさを実感できているのだろうか。
勿論、豊かさの基準は人それぞれ違うだろう。

ただ、現状を疑いもなく、そんなもんだと思って受け入れている人は多いのではないだろうか。


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2006年10月05日

とある田舎の幼稚園事情

上の娘の幼稚園の運動会が近い。

去年と変わらず、練習には大変な熱の入れようだ。
夏休みが終わってからは、ずっと体操服で通園している。

そして例によってマスゲームのような出し物の数々。
一致団結して、徹底的に同じことをさせる。

運動会が終われば、お遊戯会だ。
お遊戯会も同じくマスゲームである。
そんな調子で一年中協調作業をさせている。

ちょっとやり過ぎじゃないのかと思ってしまう。

クラスから選出される大勢の母親役員の助けが無いと回せないほどだ。
母親達も練習や、打ち合わせに相当の時間を割く。

母親というものは専業主婦、というのが前提となっている。
役員は、抽選で選ばれる。仕事があるというのは言い訳にならない。

妻は役員には運良く外れたが、お遊戯会の手伝いは当番になってしまった。

他のお母さんからみれば、夫婦で働いているのは、生活が苦しいのかと同情されるありさまだ。

すごい幼稚園に入れてしまった。

個性発揮を掲げるNZの初等教育とは大違いである。


入社当初に工場担当の人から聞いた話。

その人によると、工場勤務は女性の方が向いているという。
なぜなら、男性は勝手に良かれと思って改良しようとする。

女性は言われたことを淡々とこなすから、扱いやすいのだという。

「カイゼン」はいらないのか?と思ったものだ。

日本から単純作業の工場がなくなって、残ったのは高付加価値を産み出すための工場である。
担当者各々の工夫とかカイゼンが一層必要な時代であろう。

教育の世界は、昔の高度経済成長に必要な人材を育てるために出来たカリキュラムを一つの成功体験として、深く定着させている気がする。

そして、無自覚に同じことを淡々とこなす能力の高い人を育て続けているのではないだろうか。

もちろん、個性だけで何とかなるわけではないし、国民性の違いもある。

自分の子どもにどんな教育を受けさせたいか、難しい問題だが、選択肢はないよりあったほうがいい。
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2006年10月04日

ニュージーランドの教育事情

ずいぶん前に、NHKで、色んな国の教育事情について具体例で特徴を示す番組があった。

NZの幼稚園での場面。
男の子がスカートをはいて遊びまわっている。
彼はそれが着たいから、着る。誰も止めない。

そんな話を交えて、NZでは個性を重んじる教育をしていることを伝えていた。

他にNZの教育事情について本を読んでも、大方、

「個性重視」

というキーワードが現れる。
これは大変素晴らしいことだと思う。

一方で、好き放題遊んでるだけなら、基礎学力とか大丈夫なのか、と疑問に思ったりする。
まあ、最近では日本も怪しいものだが。

OECD生徒の学習到達度調査というのがある。


○総合読解力

  2003           2000
1 フィンランド        フィンランド
2 韓国            カナダ
3 カナダ           ニュージーランド
4 オーストラリア      オーストラリア
5 リヒテンシュタイン    アイルランド
6 ニュージーランド    韓国
7 アイルランド       イギリス
8 スウェーデン       日本
9 オランダ          スウェーデン
10 香港           オーストリア
:
14 日本

○数学的リテラシー

  2003          2000
1 香港           日本
2 フィンランド       韓国
3 韓国           ニュージーランド
4 オランダ         フィンランド
5 リヒテンシュタイン   オーストラリア
6 日本           カナダ
7 カナダ          スイス
8 ベルギー        イギリス
9 マカオ          ベルギー
10 スイス         フランス
:
12 ニュージーランド

○科学的リテラシー

 2003            2000
1 フィンランド       韓国
2 日本           日本
3 香港           フィンランド
4 韓国           イギリス
5 リヒテンシュタイン   カナダ
6 オーストラリア     ニュージーランド
7 マカオ           オーストラリア
8 オランダ         オーストリア
9 チェコ           アイルランド
10 ニュージーランド  スウェーデン

細かい点差はあるものの、どちらの国も比較されている40ヶ国の中の、第一グループに概ね属している。
基礎学力の点では、高いレベルにあることがわかる。

両国とも下がり傾向にあるのは気になるが...
2006年の結果はどうなんだろうか。
posted by りもじろう at 10:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月23日

ニュージーランドに住みたい裏の理由

実はニュージーランドに住みたい重要な理由がある。

私は異常体質なのだ。

それは、

尋常じゃないほど頭と顔から汗をかく

のだ!

カリフォルニアに住んでいるときはすっかりそれを忘れるぐらい爽やかであった。てっきりこの異常体質が治ったのかと思っていたほどだ。

かの地では夏はからっとしていて、年に数回しか、プールで気持ちよく泳げるほど暑くならなかった。

しかし、日本に帰ってくるとその体質は見事に再現した。
いや、寧ろ前よりひどくなっているかもしれない。温暖化のせいか?

内勤のエンジニアでよかった。
これが外回りのセールスだったりしたら、もう最悪だっただろう。
誰が、スーツを着込んで、顔だけシャワーを浴びたようなおっさんを信用するか。気持ち悪いから誰も話を聞いてくれないだろう。

男でよかった。
女で化粧したくても無意味だ。

それでも、自分が我慢すれば、それはいい。

最悪なことに、下の娘がこの体質を遺伝してしまったようなのだ。
暑い日に寝ている娘の顔周りだけ、おねしょしたように濡れている。

彼女が育つのは、ニュージーランドのような気候でなければならないのだ。

すまん。

絶対ニュージーランドに連れてってあげるからな。




posted by りもじろう at 10:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月08日

クマデジタルさんへ

クマデジタルさんのコメント(7/29)とブログを読んだ。

確かに他社な感じがしない!
それはいいとして。

いや、まったく仰るとおり。
成功しなければ、寧ろ悲惨であろう。

というかすでに無給・無休でやってたりしたし!
それも無意味だったりしたし!

しかし、会社のために尽くすだけではそれもリスクではないだろうか。
もうすぐリストラの身としては!

要はそのあたりうまくバランスをとって、どうすればうまく生き延びていけるのかを常に考えて生きたい。

そこのところ、どうでしょう?クマデジタルさん!




posted by りもじろう at 22:13 | Comment(0) | TrackBack(1) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月13日

クリエイティブ

私の勤める会社のソフトウェア開発はどうもぱっとしない。
欧米の数十人程度の会社の製品に負けていたり、そんな会社からOEMしたりして、しのいでいたりする。

会社にはハードウェアを製造するという、ほぼ完成されたプロセスがある。これは創業以来培われたものだから、非常に重要なものだ。メーカーにとっての命といってもいいだろう。
そのプロセスに何とかあわせてソフトウェアも造ろうとする。それがルールだからだ。

開発部門のマネージャーになるということは、その製造工程で出てくるプロセスをいかにしっかり把握し、適切に対処するかである。

クリエイティブなどというものはそこにはまったく存在しない。重要なのはルールの理解と運用である。何を開発するかは企画部門が決める。

技術力を蓄積したい、技術を深く理解したい、それらを製品開発に活用したい、などといっている人はマネージャーにはなれない。研究開発部門にいけ、ということになる。研究開発部門は予算縮小で解散させられるのがトレンドである。

アメリカのベンチャーから引き抜いたエンジニアたちは、それはもうクリエイティブな仕事を好しとしていた。そこでの仕事振りは生き生きとしていて、活気があった。マネージャー自らもアイディアをどんどん出して、エンジニアが具現化する、というスピード感があった。

それを日本から色々なルールを押し付けようとして、マネージャーは日本サイドと喧嘩ばかりしていた。

私が帰国してからどういうことになったのか詳しくはわからないが、あまりうまくまわらなくて、トップは辞めた。製品の出荷の話も聞かない。
あの勢いはつぶされてしまったらしい。

他の部署のアメリカのエンジニアは、終身雇用目的の人たちで、あまりいい仕事をしたと聞いたことがない。日本企業にはアメリカの一流企業では通用しないような人が集まると聞いたことがある。

こんな状態で、いい歳なんだから、製造プロセスを色々と覚える仕事をしてください、といわれ始めている。
posted by りもじろう at 09:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月12日

分散投資

一般的には日本経済はそれなりに立ち直ったようなことになっている。
中途半端に改革するまでもなく、立ち直ってしまった感じだ。

しかし、どうも先行き明るいという感じがしない。膿を出し切って新しくやり直すという感じがない。
そこへ、Bricsを代表するグローバリゼーション化の波が押し寄せる。

木村剛氏のブログには、日本の行財政改革の執行について、
政策の専門家として申し上げれば、「耐えて、そういう決断をすべきだ」と思ってはいますが、残念ながら「日本人は耐えられない」と予測してもいます。不良債権処理という「単純な」政策の評価すら正確に行えない国が、自らの痛みを伴う「行財政改革」を理性的に評価できるとは思われないからです。
 そういう意味で、「日本の国富が日本人の手によって消尽される前に、私たち働き盛りの人間は、個々人の判断で、自分の富を少しずつでもとりあえず外貨に逃避させて、長期に国際分散投資してゆくのが懸命な選択である」という「貞子ちゃんの連れ連れ日記」さんの結論に賛成せざるを得ないと思っています。悲しいことですが・・・。

とある。
今後じわじわと弱っていく日本で生き抜くには、長期に国際分散投資という判断が、リスク回避方法であるということだ。

日本人は本当の意味での改革には耐えられないのかもしれない。
会社内でも、xx改革と名のついたプロジェクトが無いときは無い。

本当の意味で「改革」が実施されるなら、年中改革するのは無理だろう。
せいぜい「改良」が行われているに過ぎない。

我が家は、ニュージーランドドルを含めて分散投資している。
妻も私も働いている。これも一種のリスク分散だ。

そして、移住そのものが、究極の分散投資だと思っている。

結果はやってみないとわからないが。
posted by りもじろう at 12:38 | Comment(0) | TrackBack(1) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月10日

安上がりなダイエット方法2

安上がりなダイエット方法で書いた自転車がついにお亡くなりになった。

後輪の軸がおかしくなって、修理に出した。完全には直りませんよ、といわれたが、一応直してもらった。

しばらくは調子よく乗れていたのだが、すぐにまた軸がぶれるような現象が発生した。
微調整しながら、だましだまし乗っていた。

が、ついに後輪がまったく動かなくなった。

一日20km をちょうど2年間。約20000kmである。
同じタイミングで買った自動車がまだ、10000kmだったりする。

なんて環境にやさしいんだ。

問題は、もうすぐ移住で日本を離れようというときに、新しく自転車を買うのかということだ。

以前、修理に出したときには、安い自転車の新車が買える値段の修理費だった。
そして、結局すぐ壊れた。

今から新車は、もったいないなー。

しかし、バスだと倍以上通勤時間がかかる。
なので、無いとこまる。

うーん。
posted by りもじろう at 10:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月06日

憧れのキャリア

大学生のとき、グアム島に行ったことがある。

それはツアー旅行という類のものではなく、春休みの1月間ほどの滞在だった。知り合いのつてで、とある日本人女性の経営する会社で、バイトさせてもらうチャンスを得たのだった。
社長の家と、社員の家を転々とホームステイさせてもらった。
そして、週末にダイビングをして過ごした。

バイトといってもホームステイ費用を捻出するだけのものだったが、まったくといって会社のために役に立った記憶がない。
英語もろくにしゃべれず、仕事の仕組みも全然わからない。それでも快く受け入れてくれた。感謝感謝であった。

この人、当時、今の私と同じような年齢であったが、離婚していて子供二人を育てながら、会社経営をされていた。

その後も色々な国を訪れ、色々な人に会ったが、この人との出会いは本当に刺激的なものだった。

今でも時々やり取りをさせてもらっている。

今では、一日3時間ぐらいしか働かないでもうまく会社がまわる仕組みを作って、悠々自適のセミリタイア生活を満喫されている。

あと5年もすれば、タイやバリのどこかに拠点を構えて世界中を旅して暮らしたいという。

これぞ憧れのキャリアである。
posted by りもじろう at 09:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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