日本の年功序列型の賃金プロファイルは、若いとき会社に「貯金」し、年をとってからその貯金を回収するようになっている。これは、実はグラミン銀行などと同じ村落共同体型のガバナンスだ。
ちょっと前に私も会社と個人の関係の日本とカナダでの違いというのを書いた。まさに村社会。
「入社して最初の10年は泥のように働いてもらい、次の10年は徹底的に勉強してもらう」というのをどっかのじじいが仰ったそうだ。
定年になった知り合いのおっさん(朝日系系列子会社役員)が愚痴っていた台詞を思い出した。
・最近、本社からの天下りでいきなり社長になったやつが、となりの部屋にいるのにメールで指図してきた。失礼極まりない。こういうのを老害というのでしょうな。
・我々が若いころは、会社で問題があったら休日も手弁当で対応したものだ。最近の若いやつは....(以下略)
それなのに、経営者がそれを自覚していないばかりか、若者に丁稚奉公を説教する現状は、きのうの記事のアップルと比較すると、絶望的というしかない。日本のIT産業を救う道は、マックス・プランクの次の言葉しかないのだろう ― Science advances funeral by funeral.それは時間的な意味として、やはり絶望的ということ以外ない。
どうやら自滅したいらしいですな。
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日本のIT産業の未だに汎用機時代の考えから抜け出せないのだと思います。
いま、某大手IT関連の会社のシステムにひ孫請けで携わっています。
費用の基準は人月単位。
当人のスキルや成果の量は関係なしです。
プログラムの評価基準はコードの行数です。
単純なプログラムであろうと、高度な機能を実装したプログラムであろうと同じ評価です。
つまり、支払われるお金は一緒です。
手弁当うんぬんの話は、ソフトがハードの付属品でハードを売るために、どんな無理難題も聞かなければならなかった時代の話だとも思います。
絶望的という見解については、同意見です。