振り返ってみると、自分の状況の変化に対する受け止め方の変遷が興味深い。
まず最初の数ヶ月は、意味も無く不安な感覚があった。その不安感がなんだったのかというとシールド(盾)を失った恐怖感だったのかもしれない。
だが、盾というような表層にあって、体を守るものを失った感覚とは少し違う。
どちらかというと、もっと多くの体積を占める部分が無くなった感じだ。
陳腐な表現だが、定年退職した人が
「胸にぽっかりと穴があいたような」
というようなことをいうが、そういう感じなのかもしれない。
会社を辞めようと思って一年ぐらい変人道を貫き、18時に帰り、人事には
「早期退職ないっすかー」
とか、平気で言ってて、未練も無いわ!とか思っていたのにである。
これには自分でも驚いた。
恐らく高度経済成長の末裔の、企業の成功=個人の幸せ的な成功体験によって作り出された見事な刷り込み行為がしっかりと自分にも埋め込まれていたということなのかもしれない。
私より若い世代には恐らくこの感覚は希薄であろう。
そんなわけで、カナダに来た当初は不安感もあったのだが、周りでどんどん人はクビになるは、辞めるは、雇用されるはという現実をみていると、それがすっかりどうでもいいことに気付いた。
ぽっかりあいた穴か、体を守る盾か、そういった空間を今の会社はまったく埋めてくれない。そういう存在ではないのだ。
あるのは、自分の人生は自分で切り開いていくという当たり前のことなのだ。
会社なんてそのための道具でしかないのである。
考えてみれば、会社の存在なんて恐ろしく抽象的である。会社の存在はブランドか社名か、社員か、製品か、何が作っているのか曖昧だ。
ある意味お金とかと同じで、人間が作り出した便利な偶像でしかないのだ。
年末になって皆で騒ぐクリスマスにおけるサンタクロースみたいなものだ。
皆で言ってれば、本当にサンタクロースが存在するような気がしている。
そのサンタクロースのために命かけるのはどうかと思うのだが、どうだろう。
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先日ファミリーデーにテレビで放送された、ファミリーデー対象外の州の子供のインタビューをみて感動したことがあります。
その子曰く「もしうちの州にもファミリーデーがあって休めたら、relax! watching TV」と思わず笑ってしまったのですが、そうなんですよね。
やっぱり我ら人間にはリラックスも自由も必要だと思う次第です。
去年今頃グーグルさんからいいポジッションあげるから来ないかと言われたことがありましたが、さっぱりとやめておきました。世界一ビジネスのシニアポジッションで一生懸命働いて勝ち残ってCEOになろことは自分の人生計画にそもそも無かったですし、ここオタワで家族の幸せもつかみつつゆっくり過ごしながら、リラックスして稼ぎたかったのが理由(カナダ国籍取得まではもう少し国内にいる必要もありましたし)だったんですが、私は馬鹿でしょうか。その後、「後で後悔しても仕方ないんだよ」と数回親から言われました。。。
ーーー続きますーーー
全ては自己責任。私は幸せに過ごせる「選ばれてない道」を選んでます。
もちろん、そのせいで現実生活が厳しくなってはいけませんから、そういう時にはまたも「常に選ばれている道」にちょっと戻ったり。(笑)
というか、後悔してるんでしょうか??
後悔する余裕があるなら、感情的に考えず過ぎたことを分析し直して、そこから得られる知恵を次回にうまく適用した方が自分にとってはよりプラスだと思います。
幼いごろ父がよく言ってた言葉とおり生きているだけかもしれませんが、「本気でやろうとすれば何でもできる。だが、本当に一生懸命やってダメなこともあるかも知れない、その時にはそこまで努力をかけることができた自分に感謝しよう」と。