「派閥抗争は老朽化した国家の特徴である。かれらは敵よりも味方のなかの他閥のほうをはるかに憎む」と、なげいた。
結果は、丁汝昌の心配どおりになった。日本の第二軍が上陸するや、清国陸軍はほとんど抵抗することなく砲台をすてて逃げた。
要するに日清戦争は、老朽しきった秩序(清国)と、新生したばかりの秩序(日本)とのあいだにおこなわれた大規模な実験というような性格をもっていた。
中略
「もとより一、二の君臣の罪ではない。制度がわるいのである。その従来墨守してきた清国の制度の幣こそこの主要原因である。たとえば、官吏を採用するにあたって、文章試験をおこない、文芸の士を官僚に採用する。それが階をすすめて政治をとるにいたる。その制度はすでに千年前のものであり、依然として千年後にもそれを墨守している。なるほど制度そのものからいえばこれはかならずしも善美でないとはいえない。たとえば清国が世界から孤立しているという状態におくならばである。しかし一国の孤立独往は、こんにちの世界情勢ではのぞむべくもない」
「三十年前」
と、伊東(祐亨)は維新前後をいう。
「わが日本帝国がいかに困難な境遇にあり、いかに危険な災厄をのがれ得たかということは閣下のよく存ぜられるところであろう。その当時の日本は、自分の独立をまったくする唯一の道は、一国の旧制をなげすててあたらしい秩序にきりかえる以外にないとおもい、それを唯一の要件とし、それを断行した。そのおかげでこんにちの状態を得た。貴国もこれをなさらねばならない。これを要件となされよ。もしそれをしなければ早晩滅亡をまぬがれぬであろう。」
池田信夫blogの「失われた10年」の誤った教訓にこうある。
本質的な問題は、戦時体制以来(あるいは明治以来)つづく官僚社会主義にあり、それはほとんど変わっていない。90年代は、その最大の危機だったが、大蔵省は100兆円以上の負担を国民に押しつけて旧体制を守りきった。
これを読んだときに、上記を思い出した次第である。
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