産業のコメともいわれる半導体。その物性の研究において日本は世界のトップを走ってきた。しかし、こうした分野はあと10年もしないうちに、中国やインドに追い抜かされるだろうということだ。次第に国内では人気も無くなり、若い人材も集まらなくなってきた。私も大学では物性物理を研究していた。研究は地味なデータ収集の繰り返しであったし、体に悪そうな怪しい薬品も使うし、男ばっかりだし。
会社に入れば少しは華やかなことが出来るかと期待したのであったが、配属先は半導体のプロセスであり、ほぼ同じであった。
むしろ大学と違って一切の理屈ぬきで、歩留まり重視なのであった。材料メーカーから材料を買って、ひたすらデータをとり、結果を材料メーカーにわたす。
装置メーカーの装置を評価し、歩留まりが少しでもよくなるように装置を動かす。そこは理屈よりも職人の勘みたいな世界であった。
当時は、この自分のやっていることの本質が把握できない、全体像が見渡せないことが不安で仕方なかった。
「賽の河原の石積み」ともいえるようなこの作業に進んで若者(ただでさえ少子化で希少価値の上がっている)が入ろうとするはずがない。そうそう。まさにそんな感じであった。
で、それよりも自分の作ったものが、目の前ですぐに結果としてわかるソフトウェア開発のほうが面白くなっていったのであった。
だが、これまで日本が積み上げてきた基礎科学のノウハウまでそう簡単に真似することはできない。セレンディピティという言葉も一時流行ったが、ブレークスルーというのは偶然生まれるものではない。最後には第六感のようなものが重要だが、そこに至るプロセスにおいては、これまでの研究の積み上げがもたらす膨大な知の集積が、必ず勝負を分けるという。半導体などの技術開発レベルは世間一般が思っているより、日本はそうとう高いレベルにある。しかし、今思えば、基礎科学に限らず、プロセス、歩留まり向上のためのノウハウは、実は相当奥が深い。
よくわからんが、こっちからこういう角度で塗布するといい、とか湿度何パーセントが肝とか、そういうノウハウの蓄積なのである。
まあ、装置メーカーはメーカーから得たそのノウハウを次世代に盛り込んでしまうので、海外のメーカーでも金出せば手に入ったりもしてしまうのだが。
膨大な知の集積を理解することが前提の現代の科学においては、その知識の山から逃げてはいけない。これから10年の間に、中国とインドの猛追を振り切るだけの成果を日本の科学が上げられるかどうか。それは今、20代30代の若手のがんばりにかかっているし、それだけの潜在能力は日本人にある。今こそ、若手の研究者を厳しく大事に育てていかなければいけない勝負所なのだそうだ。潜在能力はあるが、その苦労に対する費用対効果こそが問題であろう。給料だけでなく、たとえば測定装置を使うのに徹夜しないといけないとか、自動化できる測定を入社していきなり一日中、毎日毎日やらせるとか、そういう扱いを受けたエンジニア(私)としては、「今まで大学で研究してきたことはなんだったんだ?」「エンジニアって何?」とかなってはやる気もうせる。
しかも真面目に地道に生きても、こうした技術者が40代半ばになればリストラに遭うという過酷な現実も90年代後半に見てしまった。ましてや半導体の集積化は私がやっていた10年以上前からもう限界だといわれ続けている。
そんな世界に今から果敢にチャレンジするのは相当勇気の居ることであろう。
理科系においてもコモデティ化していく基礎科学分野から若者は逃げ出している。だが、先生が言うには、最後にはこうした学問的な積み重ねから逃げていては決して大きな仕事はできない。ただ、コモデティ化していく分野というのは逆に言うと、世界中でリソースとしてニーズがあるということの裏返しでもある。
まだまだ先を行く日本で得られる技術と経験を武器にして、必要とされるところで生きていくというオプションもありかと思う。
逆説的だが、そういう流出を食い止めることで理系の地位向上につながるのではないだろうか。
などと、出て行ったくせに偉そうに言ってみたりする。
ハコフグマンさんのオリジナル記事にあった「日本をなめるなよ」この気概が大事なんだと思います。
中国・インドはすごいかもしれないけど、日本には新興とは違う伝統があるぞ、と。
今の日本人は悲観的すぎると思います。
良い面みたいですね。
ところで、
3歳の娘を持つ私としては、日本での子育てはこれからの時代すごく心配です。
カナダでの子育て事情、面白いです。
カナダの学校事情の情報も楽しみにしてますヨ!
では。