この調査はカナダ育ちの高校生・大学生(日本からの移住者子女)を対象に、語学力と帰属意識との関係を調べたものです。
語学力テストの結果、
(一)英語も日本語も強い(両言語高度発達型)
(二)英語の方が強い(英語ドミナント型)
(三)日本語の方が強い(日本語ドミナント型)
(四)英語も日本語も弱い(両言語低迷型)
という四つのグループに分かれたのですが、特記すべきは両言語が高度に発達した(一)の「両言語高度発達型」の若者たちでした。彼らは違和感なく二つの言語が使いこなせるばかりでなく、「日本人」とか「カナダ人」とかの枠を超えた新しい「国際人」と言えるような、新統合型の帰属意識をもっていました。
早くから外国語に触れて育つと、二つの文化を比較することが可能になって、@高度の異文化理解が可能だし、A社会的態度においても柔軟性を持つようになるし、またB他の文化・民族グループに対して寛容な態度をとるようになると言われていますが、このようなプラス面も、語学力がかなり高度にならないと現れないようです。スポーツにしても、ピアノやバレーの稽古事でも同じことですが、根の深いスキルほど子どもの人間形成には影響を与えるわけです。
最近ではOECD学力調査の結果を受けて、ゆとり教育の失敗が取りざたされている。
日本より授業時間が少ないフィンランドが前回に続き、最高位を獲得しているとはいえ、現状では授業時間の回復しか打つ手がないのが現状だ。
うーむ。意味がわからん。そこが一番気になるところだろう。
授業時間の回復で、詰め込み教育を復活させれば元に戻るのか。
なぜフィンランドが成功しているのかをちゃんと検証しようとしないのだろうか、このニュース記事書いた人。
おそらくフィンランドでは家族が一体となって子供の教育に取り組んでいるからだろう。
そういう社会的構造の問題点なども検証していくべきではないのか。
授業時間だけ増減しても本質的な問題は改善しないと思う。中島氏の言うような人材育成を国や地方自治体で率先して進められれば、これからもリーダーシップをとれる国として日本は存続できるのではないのだろうか。
以前TOEIC関係のエントリーで「TOEICのスコアは他国はエリートだけが受けていて、日本はレベルの低い人も大勢受けているから、点数が低いのは仕方がない」、というコメントも多くいただいた。そのとおりだが、日本は総体として、そういう他国のエリートと戦っても勝ってこれたからこそ、これまでの繁栄があったのではないのかとか思う。
それをあっさり、それは仕方がない、というのでいいのかなあ。
などと、えらそうなことをいいながら自分の娘たちもろくに育てられなかったら冗談にもならない。肝に銘じる意味で、このエントリーを書いておこう。
娘たちが大きくなったときにこのエントリーを見てどう思うかな。


貧困に生まれ病に苦しみ、移住して社会の底辺を這いまわったような人々の場合、「新統合型の帰属意識」は育ちにくいのではないでしょうか。その場合は「両言語低迷型」になるのかな。
言語の習得ではなく、それが可能になるような周辺環境及び本人自身の恵まれた要因があって、両文化・地域のどちらにいても、自分がそれなりのポジションを確保され。それが侵される心配が無い、というような安心感があることが、「新統合型の帰属意識」を可能にしているのではないでしょうか。
10月26日の「強制労働の文化」でも少し触れているように、それだけ流暢な英語が話せて、且つ優秀な人材は日本に残ってくれません。よくて外資系企業、そうでなければ海外へ流出してしまいます。
かくいう私も、外資系企業への転職を画策中。でも少し遅すぎたかもしれませんね。私くらいの年齢になると、一生を奴隷として過ごすしか残された道はないかもしれません。