なんだか某業界を見るようだ.
1. 営業が赤字案件を取ってきた.
2. 開発が月100時間残業でなんとか間に合わせる
3. 営業は次からは残業100時間込みで見積もりするようになる.
4. 残業時間が200時間,300時間と増えていく.
5. 開発メンバーが辞めはじめる.(今の産科医療はここ.)
6. 会社が潰れる.
ふーむ。そういうスパイラルだなあ、確かに、と妙に納得。
そこで紹介されていた、masayangさんのエントリー。
「生産性を向上させても、その分仕事を追加されるのがオチ」と考えている人が少なからずいる
あとJavaBlackさん経由で、城繁幸さんの、休まない国、日本というエントリー。
更に雑感@取材のここ。
「勝ち組という幻想にこだわるよりも、既に既存の価値観が破綻していることを
認めたうえで、新しい価値観を探すべき」
まったく、そのとおりだと思う。
僕の知人、特に30代男性には、どうやったら
「ドラマみたいに出世して、家を買って、嫁を専業主婦に出来るか」
という強迫観念にとりつかれたような人間が、結構いたりする。
そのためにビジネススクール通って、休日出勤して、上司の引越し手伝って…
と、あがいてみるのも一つ人生ではあるのだろうけど。
そういうのがいいという人がやればいいのであって、万人向きじゃないな、という気はする。
要するに、諦めちゃえばいいのだ。
向いてないことにエネルギー使うよりも、楽しいと思えることに使った方が、きっと充実した人生になると思う。
“スローライフ”や“スローキャリア”といった言葉が登場したのは、ここ数年の話だ。
これらは従来の価値観からすれば、ただの“諦め”で一括りにされてしまうかもしれない。
でも、そこから何か新しい価値観は生まれるはずだ。
彼の生き方は、とても重要なヒントを示しているような気がしてならない。
ああなるほど。しかし自分では諦めた、という感覚はなかったなー。元の会社の多くの人と話がかみ合わなかったのが分かった気がした。
これらのエントリーを見て思ったことが一つ。
もしこの様な強制労働現象が欧米地域のどこかの国で起こったらエンジニアはどうするか。確実に他の国に移住するだろうってことだ。
日本という国は日本語という防壁のおかげでグローバリゼーションから身を守られている部分もあるが、日本語のみという障壁のおかげで、無理強いさせられていることも沢山あるのだなあ、と。
もう、生命維持活動そのものが危うい経済状況になって、美しい日本語、とかいってられん時代になりつつあるのではないか。
日本人が英語できないのは陰謀なのじゃないかっ!とか思うぐらいだ。
日本中どこいっても同じ強制労働を強いられて、それ以外の選択肢がない状況はつらい。
そんなわけで、英語の勉強をもっとやるぜ!と意気込むのであった。
>でも、そこから何か新しい価値観は生まれるはずだ。
感動した!
常識隷属ニッポンジンはこういうのを刷り込んであげないともうダメだ。とっくにダメになってるけど。