そもそも、「評価基準に全員が不満なく合意できて、全員が納得したら成果主義に移行しましょう」なんていうのは、成果主義ではない。それぞれ手前勝手な評価基準を持つ組織が乱立し、評価基準が成果のみで評価され、成果を出せず評価基準を変えられない組織はすぐに消滅するのが成果主義だ。
その評価基準が人に厳しいものである必然はない。人に厳しいものか人に優しいものかはどっちでもよくて、要するにその組織がその評価基準を通して成果を出せばよいのだ。
「垣根の無い世界」は「組織には厳しく人には優しい世界」になると思う。そうすべきだと思う。
うーむ。仰るとおりだと思う。
社員が何万人もいる大企業で、一つの制度でうまく回そうというのが、殆ど不可能な話だ。
どんなによさそうな仕組みでも、始めから形骸化する。
もっと小さな組織単位で、その業務形態に合った基準を勝手にマネージャーなりが独断で決めればよいと思う。
成果が出る(高い利益率、低いキャッシュアウト)組織は優秀で、出ないところはだめなだけだ。
優秀な組織は予算もつくし、給料も増える。
評価基準に対して、各々はどう対峙するか。
1. その基準に合わせるようにがんばる。
2. 無視する。
3. 他へいく。
それぐらいしか選択肢はない。
私の今の仕事っぷり(上の2.の状態)は、最高にがんばっていたころ(1.)の30%ぐらいの出力だ。労働時間ではなくて、精神的プレッシャーという意味で。
勿論いずれ3.だと思っているから開き直れるのだが。
お上から言い渡されるような成果主義はうまくいかないのはよくわかる。
自分が1.から2.へ移行しても、評価はそれほど変わらなかった。
というか、評価する側にはこちらの変化がわからない。
それぞれ違うことをやっているので、どれぐらい大変なのか、どれくらい簡単なのかは担当者以外にはわかりにくい。
よって残業時間を見て考えるぐらいしかない。
いっそマネージャーの好みで評価されたほうが、よりダイナミックな展開が期待できるだろう。
この人に気に入られるにはどうすればいいか、というほうが、チームワークは強固になり、パフォーマンスは上がる。
パフォーマンスを上げられないマネージャーは交代してもらうだけだ。
課員はマネージャーが嫌なら他へ行くしかない。
アメリカのベンチャーなんかはそんな調子でやっている。
組織を移り渡る人々に悲壮感はない。
形骸化した仕組みでのんびりやれる日本は、大部分の人にとっては、幸せな仕組みであった。
「フラット化」の大波が来るまでだろうが。