欧米の数十人程度の会社の製品に負けていたり、そんな会社からOEMしたりして、しのいでいたりする。
会社にはハードウェアを製造するという、ほぼ完成されたプロセスがある。これは創業以来培われたものだから、非常に重要なものだ。メーカーにとっての命といってもいいだろう。
そのプロセスに何とかあわせてソフトウェアも造ろうとする。それがルールだからだ。
開発部門のマネージャーになるということは、その製造工程で出てくるプロセスをいかにしっかり把握し、適切に対処するかである。
クリエイティブなどというものはそこにはまったく存在しない。重要なのはルールの理解と運用である。何を開発するかは企画部門が決める。
技術力を蓄積したい、技術を深く理解したい、それらを製品開発に活用したい、などといっている人はマネージャーにはなれない。研究開発部門にいけ、ということになる。研究開発部門は予算縮小で解散させられるのがトレンドである。
アメリカのベンチャーから引き抜いたエンジニアたちは、それはもうクリエイティブな仕事を好しとしていた。そこでの仕事振りは生き生きとしていて、活気があった。マネージャー自らもアイディアをどんどん出して、エンジニアが具現化する、というスピード感があった。
それを日本から色々なルールを押し付けようとして、マネージャーは日本サイドと喧嘩ばかりしていた。
私が帰国してからどういうことになったのか詳しくはわからないが、あまりうまくまわらなくて、トップは辞めた。製品の出荷の話も聞かない。
あの勢いはつぶされてしまったらしい。
他の部署のアメリカのエンジニアは、終身雇用目的の人たちで、あまりいい仕事をしたと聞いたことがない。日本企業にはアメリカの一流企業では通用しないような人が集まると聞いたことがある。
こんな状態で、いい歳なんだから、製造プロセスを色々と覚える仕事をしてください、といわれ始めている。
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