
が面白い。
日本人のルールや常識についての記述があった。
村上龍は、
日本の常識やルールは外国では通用しない。たとえば日本が没落したときに、常識やルールを信じていた人は、失望して、次には怒り出すだろう。目の前でおきていることを理解できないまま。
というようなことを述べている。
これに対して、伊藤譲一は
ルールがあるかどうかではなくて、自分の目で判断しなければいけない。日本はルールを押し付ける。
と返している。
信号は青が渡ってよくて、赤が渡ってはいけないというのは、国によって違うという話もしている。青でも危険もあるし、赤でも渡れるときは渡らないといけない。
当たり前の話だ。だが、日本ではこれも当たり前ではない。
昔、ある職場で、部門全体にメールが入った。
「喫煙室の屋根には煙センサーがついています。誤動作しますので、喫煙される方はセンサーの下で吸わないようにご注意ください」
なんとも難しいことをいう。私は煙草は吸わないので、笑うだけだったが、喫煙する誰も、じゃあ、そのセンサーを何とかしろ、とは言わない。センサーが反応しないように隅っこで吸っているのだ。
最終帰宅者のルールというのもある。
自分が最後だと思った人は、広いフロアの何十箇所もある、すべての電源を落とし、照明を消して回れという。最後までいた人はえらいとばっちりである。
勿論会社には警備員もいて、見回りもするのにだ。
で、誰も自分が最後だと思わずに点けたまま帰ったりすると、次の日の午前中一杯、誰のせいだとメールが飛び交う。
アメリカのオフィスだと、人センサーがついていて、自動消灯する。それで済む話だ。
私は、担当者にそのような提案をした。だが、昔からこういうやり方だから変えられないという。誰かが責任を持って造ったルールでもない。こんなルールの存続を生業にしているおっさんも大勢いるのだ。
アメリカで知り合った、英語の先生の話が印象的だった。
彼は日本で英会話学校を経営したことがあって、日本をよく知っている。
「高さの低いドアがあったら日本人はどうすると思う。」
「屈んで通ると思うが。」
「そのとおり。アメリカ人は、ドアの上をぶち抜いて、高いドアに替えるよ。」
ルールを作る前に、もう一度考えてみたいものだ。

