2006年05月11日

教育

移住したい理由の一つには、やはり教育がある。

私には大学生のころのトラウマ的経験がある。
それは、ある国際大学のショートプログラムに参加したときのことだ。

主な参加者は名だたる企業の選抜社員であった。運良く私は奨学生というかたちで参加させてもらえた。

世界中の優秀な人たちの、講演、ディスカッション、実験、パーティなど、盛りだくさんの内容であった。
参加者は、自分の知識と、論理をどんどん展開する。白熱したプログラムであった。
しかし、自分は他の参加者のようには、存在感をアピールできなかった。実際のところ、参加していた日本人のほとんどがそうであったのだ。

もっとも大きな理由は勿論英語であった。
だが、それに加えて、自分の考えを論理立てて、相手に伝え、聞く人の意識を変えるような影響力がないことに気づいた。

欧米の殆ど人たち、シンガポールや、インドの人たちは、よくしゃべる。そしてそういう教育を受けている。

参加していた日本人は、皆英語も出来たし、一流大学、一流企業の面々である。だが、存在感がなく、へらへらと笑って聞いている存在でしかなかった。
私も奨学生に選抜されるため、TOEFLで基準スコア以上は取っていたが同じざまだ。

一方で日本人は実務能力は非常に高かった。
よくしゃべって理想的なことをいう参加者でも、実務面がいまいちな人もいたので、一方的に日本人がだめ、というわけではなかった。


上の娘が幼稚園に行っている。参観日などで様子を見ると、徹底した同時進行作業をしている。
またお遊戯会、運動会など、北のマスゲームさながらである。

幼稚園にとって、親はサラリーマンのお父さんと専業主婦のお母さんがいるのが前提となっている。行事や、役員など、そういう前提で進められている。
すべてが横並びなのだ。

アメリカのプレスクールでの経験はこれと対照的なものであった。

自分が受けてきた日本の教育を思い出すと、まあこれは想像もつくし、何も大きくは変わっていないように見える。
とすると、子供たちが私と同じようになり、上述のようなときに発言できない人になっていく可能性も高い。

よい悪いは別にして、グローバルスタンダードでの競争が避けられない時代に、日本的教育に不安を覚えるのも事実である。

勿論ニュージーランドに行けばすべて解決するほど単純な問題ではないだろう。日本人の補習学校にも行った方がいいだろうし。

確信的なことは何もないが、自分が子供だとしたら、欧米式と日本式の学校の経験が持てれば楽しいと思う。
彼らがどう思うかはやってみないとわからないが。


posted by りもじろう at 10:12 | Comment(0) | TrackBack(1) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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