2006年04月11日

決心

家族を犠牲にして、あるいは家族の存在を認めないで日々仕事に没頭する日本人ビジネスマン。
景気が右肩上がりの時代ならよかったのかもしれないが、この時代、会社に忠誠を誓っても裏切られることも多い。

景気が悪くなると、個人個人のパフォーマンスなどほとんど見ることなく、組織ごとざっくり解体、切り離し、身売りがおこる。隣の部は年末に解体された。各々独力で仕事を見つけるか、子会社に出向となる。そんな時代でも、私の周りの人々は同じ行動パターンを繰り返している。

不思議だ。

私はアメリカ人エンジニア的な生き方のほうが、個々人としては幸せなのではないかという結論に達した。

しかし、会社の言いなりにならずに、好き勝手生きるということではない。当然そんな都合よくはいかない。結果がすべてである。

アメリカでの生活では、非常に屈辱的な思いをしたが、基本には

「こいつらに絶対負けるか」

という思いがあった。
そのため昼夜問わず、猛烈に勉強し、働き、結果を出すことに集中した。そして見返してやろうと思った。若き日の藤原正彦氏のように、英語・技術力のコンプレックスにも悩まされ続けたが、チャレンジし続けた。

がんばった甲斐あってか、結構いい感じで結果も出て、自分のポジションもしっかりしてきたのが赴任して2年もたったころだ。

ドラマ的に、この猛烈な努力によって心が打ち解け、最後は高い評価を得て、すばらしいチームメンバーとなる、はずだった。

日本の出向元組織が解体という話になった。日本の別の組織がアメリカの部隊を管轄するという。

「まあ、そっちに移るのも悪くないわな。」

などとのんきに思っていた。

そして、部長に呼ばれる。

「おまえ、日本に帰ってくれるか。」

「え?な、なんでですか?組織メンバー増強っていう話になるって聞きましたが?」

「うん。赴任者って金かかるねん。赴任者一人で若いの二人雇えるやろ?」
(大阪弁はイメージです)

結局、私よりも若いの二人のほうがええ、っちゅうことですね。じゃあ、お前辞めたら三人雇えるやろ!

まあ、結論としては、日本でのぬるま湯生活が長かったおかげで、早々簡単に技術レベルを上げられるもんでもないということだ。結果を評価されなかったのだ。
そして、負けん気が強くなっていたため、カジュアルトークする間も惜しんでいたのが、コミュニケーション能力に問題ありと思われた感も否めない。

これ、アメリカのエンジニアなら即首という意味である。

ビバ日本人!

というわけで、帰国を強いられた(首を言い渡された)。自分が面接し採用した人々から。

これを自宅に帰って妻に告げると、大変ショックのようだった。私が夜中に悔しくて目が覚めると、妻が泣いているのが聞こえてきた。
アメリカでの生活は非常に快適だった。子供も保育園に友達もたくさんできていた。とても順調な生活が、一瞬にして終わりを告げる。会社のせいで。私のせいで。

すまん。

このとき、心に誓った。絶対に自分の力で生きたいように、生きてやる、と。


だが、その前に職探しだ。元部署は解体されているので、戻るところが無い!


posted by りもじろう at 09:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | なぜ移住・独立しようと思ったのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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