この切欠を与えたのはシリコンバレーへの2年ほどの赴任がある。
それまで日本で、そして大企業でソフトウェアエンジニアとして働いていた。対象はB2B向けのシステムものとアプリである。
今思い出すと大変恥ずかしいが、それまでの自分はソフトウェアエンジニアとしてちゃんとしたキャリアを進んでおり、そのために日々がんばっているんだと思っていた。
アメリカの開発チームは、私自身が面接官をやって、あるベンチャー企業からエンジニアを10数名引き抜いて急ごしらえで作ったものだった。
結果的に、自分が面接して採用した人々が自分の上司となったわけだが..
どたばたと開発が始まった。
すぐにチームの部長となった男に呼び出されることになった。
「で、君は何ができるんだい?」
今まで自分が「ソフトウェアエンジニア」と信じてやってきたことを説明したが、最終的にその部長は、
「分かった。君をxxxの下につけるから彼の言うことを聞いて開発がんばるように。」
って、日本との橋渡しとか、ビジネスデベロップメントとか、上流設計とかやるんじゃなかったのか?下っ端ですかい?
これは恐るべき屈辱感であった。
それなりに日本での評価があったからこそのアメリカ赴任であったわけだし、マネージャーという肩書きでレベルの高い仕事をせいといわれていたのに。
今までやってきたことをすべて否定されたかの様な反応であった。(というか否定された)
しかし、この屈辱感はほんの序の口だった。
真の意味での屈辱の日々がこれから始まったのだ。
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