補習校では日本の教科書を使っている。普段は市販の日本の教材も使って勉強している。
日本の教科書は私が子供のころに比べてカラフルになっていて楽しく学べるような工夫がされているのは分かるが、内容については基本的には昔と大差ないようだ。
そこで日本の教材には、どうしても疑問に思ってしまうことがある。
例えば、今娘が勉強している地図記号などそうだ。
http://www.schoolicons.com/
学校で習って以来ほとんど使ったことがないのだが、これを現代において覚える意味がよく分からない。いっそGoogleMapの使い方を覚えたほうが意味がある気がするのだが、どうなのだろうか。
振り返ってみると、古文とか漢文とかもはなはだ疑問である。中身が重要なら現代語訳で読めばいいだけなのではないか。レ点とか、日本独自の読み方を学ぶ意味が分からなかった。
何も実用性がないものは学ぶ意味が無いといいたい訳ではない。言語の成り立ちを学んだりすることは言葉を理解する上で重要であろう。
高校以上の数学だって、論理的思考を発達させる意味において重要であるわけだし。
学習において実用性だけを問う必要がないことは重々承知しているが、脳への刺激が同等に得られるのであれば、実用的なものの割合をもう少し増やしてもいいのではないだろうか。
グローバリゼーションが進むことで、先進国においてはデフレが進行し、失業して生活に困窮することがあらゆる業種であり得る時代である。そんな時代に中途半端な記憶力のトレーニングばかりがどれほどの助けになるのか考えさせられる。
要はプライオリティなのではないだろうか。どんなことだって出来ないより出来たほうがいい。山手線の駅名も全部そらで言えたほうが言えないよりはいいのだろうが、言えたらどうなんだろうか、という話だ。
小学校3年の娘の現地校の課題をみて少し驚いた。
How to write and present an effective speech.小学校3年生だと人前で喋るだけでも中々緊張してうまく出来ないような年齢だろうに。内容は私が会社の研修で初めて受けたものと同等レベルだ。
いかにして効果的なスピーチを準備し、表現するか。
We give the Year 3 children the experience of learning and presenting to an audience.
3年生の子供たちに、聴衆にプレゼンテーションをする経験をしてもらいます。
Rules for the speech competition are:
> Children can select their own topic
> Reading, poetry, props and singing are not allowed
> Notes and cue cards are encouraged ( but not read)
> Speeches must be two minutes long
> Content, posture, clarity and performance are very important
弁論大会のルール
>話すトピックは自分で選べる。
>著作物は認めない。
>ノート、キューカードを作ることはお勧め。(でも読んではいけない)
>スピーチはきっかり二分で。
>話の内容、姿勢、明瞭さ、パフォーマンスが非常に重要。
Speeches should include:
> An exciting opening statement
> Key points (the body of the speech)
> Links between ideas
> A summary
> A closing statement which will be remembered by the audience
スピーチで必要なこと
>面白いオープニング
>キーポイント(スピーチの中心となるもの)
>アイディア間のつながり
>結論
>聴衆が記憶に残るような閉めの言葉
Children select a topic that not only interests them but has a wide appeal to an audience.
児童が選ぶトピックは自分が興味のある話というだけでなく、聴衆に広く興味を持たれるものであること。
娘はこのお題目に向けて特訓中である。ひたすら一生使わない事柄を暗記する勉強と、どちらがこれからの人生に役立つのか、考えさえられる教材なのであった。
ちなみにNZの学校にはカリキュラムはあるが規定の教科書はなく、学校、先生の裁量でこうした課題が設けられるのも面白い。
【ニュージーランドの生活の最新記事】
私は、ふと古文の読み物を手に取りたくなるときがあります。これは学生時代に古文に触れて、その時の感覚が残ってるからかなと思ってます。読んでみると、日本語の言い回しや歴史背景が感じることができて良いかなと思います。
このスピーチの課題ですが、私は小学校で似たような授業があったなぁ。先生が特殊だったのだろうか・・・。
>ジネティックエンジニアリングにどう思うか。
>今日のテレビゲームの児童教育に与える影響について
250文字以上で述べよ。時間各30分
という課題をさっと規定時間の2/3で仕上げていたのに驚いた。 聞くに、高校で毎朝このような課題の試験をやっているという。
私はそのころ今日の弁当のことしか考えてなかったなー。
仰る様に日本はクイズに出てくる問題以下のことをたくさんやってますねー。
その勉強が何い役立つかの説明もないまま詰め込まれて。
その点こちらは、微分積分やら、どんなときに役立つか直結した教え方をしているので。 非常に興味深い。。
まー官庁に本当に子供の教育について考えて行動している人が少ないんでしょうな。
「なんで学校で勉強しなくちゃいけないの?」
と何回も何回も聞いたことがあります。
その実は「学校に行きたくない」
「勉強を覚えるの面倒くさい」だったんですが(笑)
でも何回聞いても納得いく答えは
聞けませんでしたね。
この記事のような学習を是非日本でも
やってほしいと思いました。
日本人は人に自分の意思を伝える能力が
足りないと思います。
でもそれに対して、人の意図を
汲み取る力は日本人は外国人には
絶対に負けないでしょう。
ただ…
>ちなみにNZの学校にはカリキュラムはあるが規定の教科書はなく、学校、先生の裁量でこうした課題が設けられるのも面白い。
↑これは最低限必要な知識が抜け落ちる可能性も
あるのでちょっと怖いですね。
英国もブレア元首相の教育改革で、教師の裁量で教科書を選定できるようになったとか。なので、教師のレベルによって子供の能力が決定されてしまうため、優秀な教師の引き抜き合戦になったという話。金のない学校のレベルはますます下がる一方とかそんな話だった気がします。
例えば、グーグルマップの地図と表したとの比較で、紙媒体と電子媒体の違いを考察させるとか、漢文の読み下しと、日本での英語学習を比較したり、上代のエリートが漢籍に堪能だったのに対し現在のエリートが英語に弱いのはなぜかを議論させたりすれば、「生きた」知識になると思います。
古典と歴史は大人になってから
「やっておいてよかった(ほっ)」
となります。
1:心の領域を広くする。
2:最低限の古典、に精通していないと大人の会話に
はいれない。
3:人間の文化圏のなかでも錬度の高い文学と歴史をもった
国は実はすくない。学ぶべし!
普段会話には出てこなくても、歴史と古典を知らない人間は
なにかそれがにゅるっと「でちゃう」んだよね。。
英語はネット上で友達を作る制度をつくればOKです。
友達もいないのに言葉なんてうまくなりません!
スピーチは日本でもやってほしいですね。
これから世界で活躍するには必須です。
「私が勉強しなくていい理由」
を自分のこどもが理路整然と主張してきたら
「ぴっぱたく」けどね。
ニュージーランドの小学校3年の娘の現地校の課題は面白そうです。ぜひ日本でも取り入れて欲しいです。
ただ、地図記号に関しては「学習しなくていい」というほどムダなものではないと思います。地図記号を学ぶのは、「自分たちの住む地域の地図を見て、自分たちの住む地域を知る」という課題のためでした。これは「身になる授業」だと思います。自分の子供にぜひやってもらいたい課題です。
もちろん、地図記号についてのテストはあったと思うので、「無駄な暗記」も必要にはなったでしょうけれど、だからといって地図記号の学習をカリキュラムから外すほどだとは思いません。
古典についてですが、ニュージーランドでは「古典」(イギリスの昔話とか)は学ばないのでしょうか?小学生時点ならば低年齢向けの現代語訳がなされているかもしれませんが、年齢が上がれば、現在ではあまり使われていない表現のまじった文章を読んだりという授業はないのでしょうか。
「ローカル」を極めたものの方が、実は、他者との差異、という価値において強い、ということは十分ありうるのですよ。
エンジニアの世界は、すべてが共通かもしれないのであまりピンとこないかもしれませんが。
古典や歴史を学ぶことは重要だと私は思います。
カナダは、どちらかというと風土的にはアメリカと似ているというか、新しいビジネスを開発しようという感が強いですね(自然の雄大さなど、別の側面も素晴らしいですが)。
しかし、ヨーロッパに行くと、歴史や文化的な価値が色濃く根付いているからこそ、観光という産業が立派に成り立っている、と言えるわけなんですよ。日本も二千年の歴史を誇る、しかも漢字文化圏の国、という意味ではとても特殊な価値を持っているのです。
ちなみに、江戸時代日本人、江戸の町を限ってみれば世界に誇る100万人都市であり、個別に商いをしている人が殆どだったので、今と違ってのんびり働くことができ、しかし文化的にはかなり高いものを持っていたのですよ。詳しくは、イザベラ・バードさんの記録や、明治初期のお雇い外国人の手記を読んでいただければわかります。外国の方が驚嘆の目を持って日本文化の美を見つめていたことが。
それを切り捨てて、他の国と同じ、金太郎飴のような、無味乾燥な、無個性な国にしてきたのが明治維新後の日本です。
利益もたくさん享受してきたでしょうか、他の国にはない美しさや文化を失った・・・という意味では私たちは大変な損失をしてきたと思いますよ。
ヨーロッパの方々とお話ししたりすると、かなり日本の文化や歴史についても興味を持っている方がいて、色々聞かれますので、教養としてきちんと子供のころに知っておくべきだと私は思いますが、カナダだと聞かれません?アメリカ・カナダはあまり他国の文化の興味ないのかしら。人によるのでしょうかね。
「ローカル」を極めたものの方が、実は、他者との差異、という価値において強い、ということは十分ありうるのですよ。
エンジニアの世界は、すべてが共通かもしれないのであまりピンとこないかもしれませんが。
古典や歴史を学ぶことは重要だと私は思います。
カナダは、どちらかというと風土的にはアメリカと似ているというか、新しいビジネスを開発しようという感が強いですね(自然の雄大さなど、別の側面も素晴らしいですが)。
しかし、ヨーロッパに行くと、歴史や文化的な価値が色濃く根付いているからこそ、観光という産業が立派に成り立っている、と言えるわけなんですよ。日本も二千年の歴史を誇る、しかも漢字文化圏の国、という意味ではとても特殊な価値を持っているのです。
ちなみに、江戸時代日本人、江戸の町を限ってみれば世界に誇る100万人都市であり、個別に商いをしている人が殆どだったので、今と違ってのんびり働くことができ、しかし文化的にはかなり高いものを持っていたのですよ。詳しくは、イザベラ・バードさんの記録や、明治初期のお雇い外国人の手記を読んでいただければわかります。外国の方が驚嘆の目を持って日本文化の美を見つめていたことが。
それを切り捨てて、他の国と同じ、金太郎飴のような、無味乾燥な、無個性な国にしてきたのが明治維新後の日本です。
利益もたくさん享受してきたでしょうか、他の国にはない美しさや文化を失った・・・という意味では私たちは大変な損失をしてきたと思いますよ。
ヨーロッパの方々とお話ししたりすると、かなり日本の文化や歴史についても興味を持っている方がいて、色々聞かれますので、教養としてきちんと子供のころに知っておくべきだと私は思いますが、カナダだと聞かれません?アメリカ・カナダはあまり他国の文化の興味ないのかしら。人によるのでしょうかね。