なぜなら、NZには日本やアメリカの都市にあるような大規模な書店がないのだ。
なので専門書を立ち読みして買うということはままならない。思えば、カナダの首都オタワですら大規模な書店はなかった。
じゃあ、ネットで買えばいいだろうということになるのだが、なんとNZにはAmazonの拠点がないし、同等のサービスもない。
これはNZに来るまで考えもしなかったことだった。アメリカ、カナダ、日本での生活で普通に利用していたので、Amazonぐらいになると世界中で展開してるんだろうぐらいに勝手に思っていたのだ。
調べてみると、Amazonが拠点を構える国は案外少ない。
ここで見ると拠点はたったこれだけだ。
アメリカ、カナダ、ルクセンブルグ、イギリス、アイルランド、フランス、ドイツ、ルーマニア、中国、インド、日本、シンガポール
その他の国の人は近隣の国から取り寄せることになるのだろうが、コストも時間もかかる。オセアニアはオーストラリアにすらAmazonはない。
カナダに住み始めたときに驚いたのは、Amazonが本しか扱っていなかったことだ。最近になってやっと電気製品を扱うようになったぐらいだ。アメリカの隣の先進国に対してでも、Amazonの展開はそんな程度だったのだ。
つまり読みたい本がすぐに手にとって確認できたり、ネットで買えるという当たり前に思っていた状況は、世界的に見ても恵まれた特異な環境であったということに今頃気づいた。
読みたい本がすぐに読める状況というのは、日本やアメリカの都市にいると当たり前のことなのだが、NZやカナダの田舎町にいると諦めるしかなかったのだ。
なので私がよく読むのはmanningのpdf版であった。
まして日本語の書籍であれば、海外にいては船便で1-2ヶ月かけて購入するものであった。
テレビやニュースや音楽はネットで問題なく利用できるようになっている現在、書籍こそが最後の遠い遠い、それでいて一番重要なメディアであったのだ。
つまるところ、書籍が電子化されるということは、今までアクセスしたい情報にたどり着けなかった多くの人たちが同時に情報を共有できることを意味する。書籍の情報はネット上のものとは違う集積度があるので、やはりそこへのアクセス性の向上は非常に重要な意味をもたらすと思う。
英語を中心とした書籍の情報が、世界中に瞬時に広がっていく時代になったということである。
情報の共有化においてもグローバリゼーションは加速し、地理的優位性はフラットな方向に進んでいくのであろうなあと、iPadの未だ売られていないNZで思うのであった。
【ニュージーランドの生活の最新記事】
http://www.scapon.jp/index.html
試して見なはれ。