「会社が可哀想」とか「詐欺」といってる人は、このエピソードから「取れるところからは取ってやれ」、みたいなニュアンスを感じちゃったのでしょうか。日本だと退職にあたって就業規定をこまかく見て弁護士を立てて…なんていうのは珍しいでしょうからそう思われちゃうのかもしれませんね。
でも、感謝することと負担の境界をはっきりさせることは別の話です。時には、感謝している相手に対しても、対等な立場で交渉して線を引く必要があり、そしてまっとうな会社に対して個人が対等な立場に立つには専門家(弁護士)の力を借りることも必要です。ここらへんの区別が、日本社会ではなあなあにされることが良くあるなあと思います。
仕事をしてゆくなかで、「とりあえず」で手続きを曖昧にしたまま物事を進めることは良くありますが、物事が順調に行かなくなった時には前提に戻ってはっきり線を引き直す、という覚悟が重要です。そこをなんとなく流すと、たとえどちらも善意で行動していたとしても、力を持たないものの方が不利になりがちなんですね。
「会社が搾取」と聞くと、会社がまるで悪意を持っているかのように取る人がいますが、搾取というのは善意悪意の有無にかかわらず構造的に生じるものなんで、感情とは切り離して理性的に対応しないとだめです。感情に流されて構造的な問題を放置することは、その構造に間接的に加担していることになります。
ちょっと面白おかしく書いたので、ネガティブに捉える人もいたのかと思う。
組織に頼れず、個人として生きていくしかないことが明確な社会では、日々の生活の中で(訴えるまで行かなくても)この線引きを曖昧にすると、損するのは結局自分なのだ。これを早い段階で見切るべきなのだなあ、ということを今回の経験で感じた。
損というのは、金銭的な意味だけではなくて、自分の生きたいように生きられないことも含めて。
一方、組織ありきの社会では、我慢は美徳になったりもするので、その我慢の継続度は高いのだろう。なので、会社に申し訳ないと感じて、その個人の権利を自ら放棄することも本人の自由だとは思う。
shiroさん、ありがとうございました。
【カナダの生活の最新記事】
色々な人の意見を知ることができました。ありがとうございます。
改めて、ブログを復活してくださってとても嬉しいです。
自分を否定されたような気分になるんでしょうね^^;
会社の奴隷であることに文句をいいながら安住するMでありながら
俺もつらいんだからおまえもつらくて当然だろうと
押し付けるのが社畜の特徴です。
いちいち相手にしてたらキリがありませんよw
最初にこちら→会社と社員の関係(会社の辞め方 総括)
を書いていれば誤解(?)はなかったんだと思うけれど
ちょっと否定されただけのことで
これはちょっと頑張りすぎでは…
(会社の辞め方 総括)でとどめておけたら、
あ、そうだったんだな〜と思えてよかったのに、
こうしてさらに味方になってくれる人のコメントまでのせて
「僕が正しい!」とがんばってしまうと、
りもじろうさんが正しいかどうかより、
事はだんだん、りもじろうさんが大きいか小さいかに…
上の人みたいに一々つまらない揚げ足とりする人が出てきて。
素直に勘違いしてたなら、そう非を認めればいいのに。
自分の人間の小ささを露呈している。
明文化されたルールよりも不文律の方が重く、それも慣習法のように時代に応じて変わるようなものではなく、呪術的な色彩までもっている。
そして、日本の中しか知らない人は、なんとなく世界中どこでもそんなものだと思っている。とくに時々熱狂的に日本が好きになる外国の人がいるものだから、ますますその意を強くしてしまう。
いわばハリーポッターの魔法の国のようなもので、とてもユニークで面白い国ではあるけれども、日本の外の世界とはよくも悪くも異質なんだと思います。
異質であると自覚すれば、その特質を上手くいかせると思うのですが、普遍的だと思い込んで、世界的に展開しようなどとすると、空回りに終ったり強い反発を招いたりするのではないでしょうか。
いやはや、「グレーゾーンはあなたを救わない」ということに気付くには、「契約」とはどういうものかを意識した社会で育たないと、少し難しいのかなと思いました。
「法的にグレーゾーンを多く作っておくのは市民的が雑用を手っ取り早く済ませられるように保つため、社会には絶対必要だ」と、そう思っておられる方って多いんだろうなと。自分もそうでした。
まぁ大間違いもいいところでまったく逆、「生まれてから死ぬまでの毎日を地域・業界内の空気の読みあいと内ゲバで浪費させておけば社会は安全に保たれるよね」ってのと「世間の空気が変わった際に法解釈ひとつで逮捕できるようにしておく」と言う話ですねと。
# NZは夏真っ盛りでしょうか、絵本にあった、水着のサンタクロースを思い出しますね。
…というと言いすぎですが、飽くなき議論に耐える知的な体力は市民には必要では無いかと思います。
この顛末を見て「公正な議論で法によって保障された結果が生まれ、不正(会社側の詐欺/説明義務の不履行)が正された」と感じるべきだと思います。
大小で言うなら、こういった個人と会社の関係をキチンと互角と判定する法をないがしろにする感情的なノイズに屈するほうが「小」とするべきです。