2010年06月24日

祝Evernote日本法人設立!

アメリカに一緒に赴任した、元上司の中島さんがソニーを辞めてEvernoteに転職された。ニュース記事1, 記事2
おめでとうございます。

VAIO部隊は長野に撤収集結したところだったので、二度の引越しが大変だったことでしょう。
バイスプレジデントだそうで、色々忙しいでしょうが、がんばってください。

takeshi_nakajima.jpg

京大アメフト部卒で、完璧なバイリンガルという優秀な方です。元エンジニアですので技術面も強いので、いい仕事されることでしょう。
今後のご活躍を楽しみにしています!

あ、何か手伝えることあったらやりますよー。ただしNZからですけど。
posted by りもじろう at 10:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月15日

雇用のダブルスタンダードは続くのか

こちらの城繁幸氏のエントリーが大変興味深い。
来年度新卒採用1390人のうち海外採用1100名というのは既報だったが、290人の国内枠というのは日本人枠というわけではないらしい。

日本国内での新卒採用は290人に厳選し、なおかつ国籍を問わず

海外から留学している人たちを積極的に採用します。

パナソニックの採用状況が大きく海外シフトしている。

「私たちはどうなるんです?」と不安に思う人もいるだろうが、答えは一つしかない。
中国や韓国の若者たちに負けないように一生懸命努力する、ただこれだけだ。

有名大学を出ても、英語や中国語のような語学や、彼らに負けないような突出したものが示せなければ、輸出系企業への就職は難しい時代になってきたということだろう。
サムソンの台頭を見れば、至極当然の流れといえよう。

そうなると気になるのが、企業サイドの「国内枠」の人の扱い方である。
これまでは、国内枠はあくまでも会社色に染めていく新卒主義であったわけだが、中国、韓国人相手にこの方法は通用しないだろう。
日本人のように、若いころは低賃金で我慢して滅私奉公、ジェネラリスト育成という流れは理解されにくい。

一方で、日本企業も「海外枠」での雇用は他の企業と同じようにスキルベースで採用し、必要なくなったらクビを切るし、働く側も転職するというスタイルである。

私がソニーにいたときも、「国内枠」のアジア系の留学生が採用されていたが、転職していく人が多かった。
人事は日本人と同様に育てたかったがっていたし、継続して日本式で働いている人もいたにはいたが、優秀な人ほどステップアップするためのポジション作りと考える場合が多かった。
私もカナダ、NZで働いてみて分かったのは、転職する際に自分の履歴に有名企業が入っていると、人事に目がつきやすいのだ。
なのでエンジニアとしても国際的に有名な会社に籍を置いていたということは、後のキャリア形成に非常に重要なのである。
パナソニックなど、格好の企業であろう。

最近も、そういう知り合いが一人、アメリカ系のベンチャーの日本法人立ち上げメンバーとしてヘッドハントされた。
日本語、英語、中国語が出来る人材は米系の企業にすると、喉から手が出るほどほしい。
このベンチャーもそうなのだが、アジア進出の足がかりに東京に拠点を置くことにする場合、こういう有名企業経由の"素性"のいい人材が重要になるからだ。

なので、「国内枠」「海外枠」という雇用のダブルスタンダードを続けるのは、ますます非効率になってくるだろう。
絶対数から言っても、少数になっていく「国内枠」を特別ルールで運用するのは、遅かれ早かれ破綻するのではないだろうか。
posted by りもじろう at 14:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月10日

欧米でウォシュレットが流行らない理由

今更ながら欧米諸国でウォシュレットが流行らない理由が分かった気がする。

まずトイレに電源がないとかそういう技術的な問題は置いておいて。

カナダの家を売るときに、ウォシュレットをそのまま置いていってもいいというようなことをエージェントやバイヤーに言ったものの、悉く
「病人の家みたいに見えるから元に戻せ」
とまで言われた。

彼らの生活パターンをみると、驚かされることは多々ある。
オタワでは冬-30℃にもなるのだが、たまに0℃を越すことがあると、Tシャツで外を闊歩する輩が現れて驚いた。
で、ここNZでも家の中でセーターを着込んでいても寒いくらいなのに、半そで半ズボンで歩いている人も沢山いたりする。

小学校に行くと、そんな寒い状況でも子供たちは半そで半ズボンで雨の中ボトボトになって、朝からサッカーやラグビーに興じていたりする。
その雨にぬれた格好で一日過ごすのかと考えただけでぞっとする。それを見ても親や先生も何も言わないのだ。
送り迎えのお父さんも雨の中傘もささずにTシャツだったりするから当然である。
少しの雨で傘をさすのは格好悪いらしい。

半そで一枚の子供に聞いてみた。
「君、寒くないの?」
「え?あなた寒いの?」

日本で見かけたら、どんなスポコンものなんですかといいたい。肺炎になって感動ドラマですかみたいなレベルだ。多分日本のドラマや映画のそんなシーンを見ても、彼らには意味がわからないだろう。
裸足の子供もいる。泥水だろうが関係ない。そのまま家にも上がる。上も下もない。

こちらの国際結婚した奥さんたちにそんな話をすると、ほとんどが、
「ああ、ちょっと頭おかしいのよ。」
と指を頭の横で回して笑っている。

反対に日本人は彼らと比べると神経質だし、虚弱体質に見えているのかもしれない。

なので日本人が作った神経質な日本の製品が、必ずしも受け入れられるわけではないのである。本質的に不必要なものは売れないのだ。
けつが少しぐらいどうなろうか知ったこっちゃないのである。

ちなみにNZで売られているウォシュレットは、ほとんど韓国製だったりするので、我が家のもそれである。(ウォシュレット、シャワートイレは商標なので厳密にはなんと呼んでいいかわからないが。)

これは軟弱な東アジア人にしかわからない世界なのかもしれない。
posted by りもじろう at 19:53 | Comment(8) | TrackBack(0) | ニュージーランドの生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月02日

電子書籍とグローバリゼーション

NZという田舎の国に住む身として、書籍のデジタル化が進むのは大変ありがたい。
なぜなら、NZには日本やアメリカの都市にあるような大規模な書店がないのだ。
なので専門書を立ち読みして買うということはままならない。思えば、カナダの首都オタワですら大規模な書店はなかった。

じゃあ、ネットで買えばいいだろうということになるのだが、なんとNZにはAmazonの拠点がないし、同等のサービスもない。
これはNZに来るまで考えもしなかったことだった。アメリカ、カナダ、日本での生活で普通に利用していたので、Amazonぐらいになると世界中で展開してるんだろうぐらいに勝手に思っていたのだ。

調べてみると、Amazonが拠点を構える国は案外少ない。
ここで見ると拠点はたったこれだけだ。
アメリカ、カナダ、ルクセンブルグ、イギリス、アイルランド、フランス、ドイツ、ルーマニア、中国、インド、日本、シンガポール

その他の国の人は近隣の国から取り寄せることになるのだろうが、コストも時間もかかる。オセアニアはオーストラリアにすらAmazonはない。

カナダに住み始めたときに驚いたのは、Amazonが本しか扱っていなかったことだ。最近になってやっと電気製品を扱うようになったぐらいだ。アメリカの隣の先進国に対してでも、Amazonの展開はそんな程度だったのだ。
つまり読みたい本がすぐに手にとって確認できたり、ネットで買えるという当たり前に思っていた状況は、世界的に見ても恵まれた特異な環境であったということに今頃気づいた。

読みたい本がすぐに読める状況というのは、日本やアメリカの都市にいると当たり前のことなのだが、NZやカナダの田舎町にいると諦めるしかなかったのだ。
なので私がよく読むのはmanningのpdf版であった。
まして日本語の書籍であれば、海外にいては船便で1-2ヶ月かけて購入するものであった。

テレビやニュースや音楽はネットで問題なく利用できるようになっている現在、書籍こそが最後の遠い遠い、それでいて一番重要なメディアであったのだ。

つまるところ、書籍が電子化されるということは、今までアクセスしたい情報にたどり着けなかった多くの人たちが同時に情報を共有できることを意味する。書籍の情報はネット上のものとは違う集積度があるので、やはりそこへのアクセス性の向上は非常に重要な意味をもたらすと思う。
英語を中心とした書籍の情報が、世界中に瞬時に広がっていく時代になったということである。

情報の共有化においてもグローバリゼーションは加速し、地理的優位性はフラットな方向に進んでいくのであろうなあと、iPadの未だ売られていないNZで思うのであった。

posted by りもじろう at 18:40 | Comment(1) | TrackBack(2) | ニュージーランドの生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする