2009年05月12日

無趣味のすすめ その2

以前、村上龍氏の「無趣味のすすめ」について書いたことがあった。

光栄なことに、このエントリーについて、幻冬舎の石原正康氏から、「無趣味のすすめ」本の出版にあたり、広告に使わせてもらえないか、というお問い合わせをいただいた。

残念ながら、当方の返事が遅くなってしまって、これは実現しなかった。にもかかわらず、直後に一筆添えてカナダまで一冊送っていただいた。

これほどの立場の人が、私のようなブログの話で、直接メールで問い合わせいただき、本にも一筆添えて、などという細やかさには大変驚いた。
これがプロの仕事なのだなあと、変なところに関心した次第である。
無趣味のすすめ
さて、本を読んだ感想である。
日本にいたころにGOETHEですでに読んでいたエッセイも多かったのだが、改めて読んでみても、やはり非常に現実的な話であり、今でこそ、この金融危機で多くの人が気付かされたことが、随分と早くから指摘されていたのだということに感心するばかりであった。

納得した話の一つに「語学の必要性」というのがある。

「一生安泰な仕事や資格やスキル」という幻想を求める傾向がある。残念ながら、そんなものはないとまず自覚すべきである。」

「語学の習得は、得るものが大きく非常に重要で有用だが、それはその人の人生を「やや有利」にするだけという当たり前の事実に気づくべきである。」

その通りだと思う。自分は十代になって多くの時間を英語(さらに、大学でのドイツ語)に費やした。そしてそれは非常に非効率であったことを認めざるを得ない。
自分の子供たちには、その歳その歳で、もっとも有益なことに時間を使ってもらいたいのだ。

小学校で英語の授業を週に何回かやったり、レベルの低い中学高校の英語教師のもとで英語の勉強をだらだらとやったりするのは明らかに時間の無駄で効率が悪い。

たかが英語のために、そんな無駄な時間は費やしてほしくないという思いがあった。

「後悔のない転職」という話のなかで、

転職が合理的なのは、基本的には、高度専門職、つまりはスペシャリストと、著しい実績を持つ人だけだ。

とある。当たり前である。こちらのエンジニアはそれしか考えていない。日本で今、正規雇用の流動化が叫ばれているが、これに対応できる人は大企業には少ないだろう。
いいにくいが、私のような自ら辞めたエンジニアに前職から今だに開発の仕事をいただけるのは、そんな事情であり、私にとってはありがたいことではある。
本当に大企業がおっさんホワイトカラーのクビ切りを始めたら、すごいことになるだろうなあ、自殺者数とか。
これはもう既得権益を得たと信じていたフランス革命前の貴族みたいなものかな。趣味とか暢気にやってたわけで、最後はクビ切りで終わると。ああ「無趣味のすすめ」。

posted by りもじろう at 11:17 | Comment(11) | TrackBack(1) | カナダの生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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