前職を辞めて、約1年がたった。
振り返ってみると、自分の状況の変化に対する受け止め方の変遷が興味深い。
まず最初の数ヶ月は、意味も無く不安な感覚があった。その不安感がなんだったのかというとシールド(盾)を失った恐怖感だったのかもしれない。
だが、盾というような表層にあって、体を守るものを失った感覚とは少し違う。
どちらかというと、もっと多くの体積を占める部分が無くなった感じだ。
陳腐な表現だが、定年退職した人が
「胸にぽっかりと穴があいたような」
というようなことをいうが、そういう感じなのかもしれない。
会社を辞めようと思って一年ぐらい変人道を貫き、18時に帰り、人事には
「早期退職ないっすかー」
とか、平気で言ってて、未練も無いわ!とか思っていたのにである。
これには自分でも驚いた。
恐らく高度経済成長の末裔の、企業の成功=個人の幸せ的な成功体験によって作り出された見事な刷り込み行為がしっかりと自分にも埋め込まれていたということなのかもしれない。
私より若い世代には恐らくこの感覚は希薄であろう。
そんなわけで、カナダに来た当初は不安感もあったのだが、周りでどんどん人はクビになるは、辞めるは、雇用されるはという現実をみていると、それがすっかりどうでもいいことに気付いた。
ぽっかりあいた穴か、体を守る盾か、そういった空間を今の会社はまったく埋めてくれない。そういう存在ではないのだ。
あるのは、自分の人生は自分で切り開いていくという当たり前のことなのだ。
会社なんてそのための道具でしかないのである。
考えてみれば、会社の存在なんて恐ろしく抽象的である。会社の存在はブランドか社名か、社員か、製品か、何が作っているのか曖昧だ。
ある意味お金とかと同じで、人間が作り出した便利な偶像でしかないのだ。
年末になって皆で騒ぐクリスマスにおけるサンタクロースみたいなものだ。
皆で言ってれば、本当にサンタクロースが存在するような気がしている。
そのサンタクロースのために命かけるのはどうかと思うのだが、どうだろう。
2008年04月30日
2008年04月28日
杉原輝雄という生き方
杉原輝雄というプロゴルファーがいる。

尊敬する人とかいうのもおこがましいぐらい、凄いプロフェッショナルである。
非常に自分に厳しく、他人に優しい人である。
例えば、人と約束したときは、30分前にはそこに着くように出かけるという。渋滞かなにかで相手に迷惑がかからないようにということだろう。コースでも後ろのパーティのことを考えてか、打つとボール目掛けて、すぐに走る。そんなことをするプロは普通いない。
縁があって、私が学生の頃に家族でご自宅に何度か呼んでもらったこともあった。
ゲストにも恐ろしく気を使う人だった。
例えば、いいワインをどんどんあけて、ゲストのグラスが空くとご本人がすぐに注いでくださった。
ジョークも途絶えることがない。
奥様も気さくで明るくて楽しい方だ。
こちらは緊張して、何をしゃべっていいかも分からない状態なのだが、和やかに迎えてくださった。
試合中、普通のプロだと神経を集中させているため、観客と話をしたりすることも少ないが、杉原プロは私たちを試合中見かけると、ニコニコと近づいてきて、
「ああ、来てくれたんか。後で食事していけるやろ?クラブハウスで待っとってや。」
とか、気さくに声をかけてくださったのを今でも覚えている。
いや、そんな我々のこと気にしてもらわんと、試合に集中してくださいよ!とかこっちが気になるぐらいだ。
1997年に前立腺ガンが見つかって、手術するか、投薬治療をするか、という岐路にたった。
手術をすれば、半年ほどはゴルフが出来なくなるというので、投薬治療の道を選んだ。
普通の人だったら、手術すればいいのに、で終わる話かもしれない。ただ60歳近くになって、手術して入院することは選手生命を絶たれる可能性もある。
70歳になった最近になって、リンパ筋に転移している可能性があることが分かった。
試合後に、他のプロがクラブハウスでのんびり食事とかしているときに、一人雨の中でその日冴えなかったバンカーショットの練習をしている杉原プロ。
そんな話は枚挙に暇がない人だ。
シニアに出る歳になっても、現役のツアー出場にこだわった。
世界最年長予選通過記録を68歳10ヶ月で作った。
優勝回数は国内男子プロとしては尾崎将司、青木功に次ぐ歴代3位だという。
勿論本人は無理して、苦労してゴルフをやっているつもりはないだろう。好きなゴルフをやって死ねるならいいと思っているに違いない。
寧ろ死ぬまでゴルフをやり続けたいのだと思う。
こんな風に仕事を生涯続けられるのは幸せなことであろう。
こういう人をプロというのだ。

尊敬する人とかいうのもおこがましいぐらい、凄いプロフェッショナルである。
非常に自分に厳しく、他人に優しい人である。
例えば、人と約束したときは、30分前にはそこに着くように出かけるという。渋滞かなにかで相手に迷惑がかからないようにということだろう。コースでも後ろのパーティのことを考えてか、打つとボール目掛けて、すぐに走る。そんなことをするプロは普通いない。
縁があって、私が学生の頃に家族でご自宅に何度か呼んでもらったこともあった。
ゲストにも恐ろしく気を使う人だった。
例えば、いいワインをどんどんあけて、ゲストのグラスが空くとご本人がすぐに注いでくださった。
ジョークも途絶えることがない。
奥様も気さくで明るくて楽しい方だ。
こちらは緊張して、何をしゃべっていいかも分からない状態なのだが、和やかに迎えてくださった。
試合中、普通のプロだと神経を集中させているため、観客と話をしたりすることも少ないが、杉原プロは私たちを試合中見かけると、ニコニコと近づいてきて、
「ああ、来てくれたんか。後で食事していけるやろ?クラブハウスで待っとってや。」
とか、気さくに声をかけてくださったのを今でも覚えている。
いや、そんな我々のこと気にしてもらわんと、試合に集中してくださいよ!とかこっちが気になるぐらいだ。
1997年に前立腺ガンが見つかって、手術するか、投薬治療をするか、という岐路にたった。
手術をすれば、半年ほどはゴルフが出来なくなるというので、投薬治療の道を選んだ。
普通の人だったら、手術すればいいのに、で終わる話かもしれない。ただ60歳近くになって、手術して入院することは選手生命を絶たれる可能性もある。
70歳になった最近になって、リンパ筋に転移している可能性があることが分かった。
「転移していたら大変やが、気にしても仕方がない。(がんに)立ち向かっていくしかないよ。」
「可能性としてはリンパ節に転移していることもありうる。だとしたら、あと何年ぐらい生きられるか。3年とか5年とかかもしれん。そりゃ、気分的には決してええもんやない。でも、この年まで生きられたんやし、しゃあないやろ。」
「(手術を勧めた)医者の言うことを聞かなかったが、後悔していない。」
試合後に、他のプロがクラブハウスでのんびり食事とかしているときに、一人雨の中でその日冴えなかったバンカーショットの練習をしている杉原プロ。
そんな話は枚挙に暇がない人だ。
シニアに出る歳になっても、現役のツアー出場にこだわった。
「シニアに出るためにプロになった訳やないからな。」
世界最年長予選通過記録を68歳10ヶ月で作った。
優勝回数は国内男子プロとしては尾崎将司、青木功に次ぐ歴代3位だという。
勿論本人は無理して、苦労してゴルフをやっているつもりはないだろう。好きなゴルフをやって死ねるならいいと思っているに違いない。
寧ろ死ぬまでゴルフをやり続けたいのだと思う。
こんな風に仕事を生涯続けられるのは幸せなことであろう。
こういう人をプロというのだ。
2008年04月24日
無趣味のすすめ
幻冬舎「GOETHE」の創刊号にこうあった。
さらに「半島を出よ
」にこうある。
今の状況で考えると、この話は心から納得できる。
大企業でサラリーマンをやっていたときは、陶芸だのダイビングだの、ゴルフだの、暢気にやっていた。これは趣味以外の何物でもない。
大企業にいることで、将来安泰であるという既得権益を得て安心しきっていたからこそ出来たことなのだ。そういう意識があるからこそ、人は35年ローンで家を買ったりできるのだ。
なので、趣味を楽しめる人は、老人か、既得権益で悠々自適か、既得権益を得ていて、将来も安泰だと錯覚している人しかいない。
で、私は錯覚していた部類の人だったのだ。
今の生活では、とても趣味を楽しむ余裕はない。郊外にでてランチを楽しんだり、庭でバーベキューをしたり、芝刈りをしたり、子供と遊んだり、勉強を教えたりしているのは趣味ではない。
ましてや子供を寝かしつけてから、副業しているのは趣味ではない。
今となっては、観光旅行とか、とてもじゃないが出来ない。
20代までに色々なことに挑戦してみて、自分が面白いと思えることを見つける作業は、一見すると趣味的ではあるが、多分それは趣味ではないだろう。いずれプロを目指す、ということだ。
だから、面白そうなことに挑戦してみることはどんどんやるべきなのだろうと思う。
だがある程度の年になって、そういうことをやるのは趣味なのだ。で、趣味でそういうことをやれるというのは、余裕のある証なのだ。
一番痛いのは、余裕も無いのに、余裕があると勘違いしていて、趣味とかのんびりやっていることなのかもしれない。
少し前の自分がそうだったのだと気付いた。
無趣味のすすめ ―村上龍
まわりを見ると、趣味が花盛りだ。手芸、山歩き、ガーデニング、パソコン、料理、スポーツ、ペットの飼育や訓練など、ありとあらゆる趣味の情報が愛好者向けに、また初心者向けに紹介される。
趣味が悪いわけではない。だが基本的に趣味は老人のものだ。好きで好きでたまらない何かに没頭する子どもや若者は、いずれ自然にプロを目指すだろう。
老人はいい意味でも悪い意味でも既得権益を持っている。獲得してきた知識や技術、それに資産や人的ネットワークなどで、彼らは自然にそれを守ろうとする。
だから自分の世界を意図的に、また無謀に拡大して不慣れな環境や他者と遭遇することを避ける傾向がある。
わたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽のプロデュースも、メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。
息抜きとしては、犬と散歩したり、スポーツジムで泳いだり、海外のリゾートホテルのプールサイドで読書したりスパで疲れを取ったりするが、とても趣味とは言えない。
現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。
だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。
真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
つまりそれらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。
さらに「半島を出よ
趣味的というのは、みんなにもっとも忌み嫌われている言葉の一つだった。ゲートボールをするじいさんばあさんを連想させた。
中略
趣味に必要なのは時間的、経済的、精神的余裕で、そんなものを持つ人間はここには一人もいなかった。だから趣味的というのはひどい屈辱だった。
今の状況で考えると、この話は心から納得できる。
大企業でサラリーマンをやっていたときは、陶芸だのダイビングだの、ゴルフだの、暢気にやっていた。これは趣味以外の何物でもない。
大企業にいることで、将来安泰であるという既得権益を得て安心しきっていたからこそ出来たことなのだ。そういう意識があるからこそ、人は35年ローンで家を買ったりできるのだ。
なので、趣味を楽しめる人は、老人か、既得権益で悠々自適か、既得権益を得ていて、将来も安泰だと錯覚している人しかいない。
で、私は錯覚していた部類の人だったのだ。
今の生活では、とても趣味を楽しむ余裕はない。郊外にでてランチを楽しんだり、庭でバーベキューをしたり、芝刈りをしたり、子供と遊んだり、勉強を教えたりしているのは趣味ではない。
ましてや子供を寝かしつけてから、副業しているのは趣味ではない。
今となっては、観光旅行とか、とてもじゃないが出来ない。
20代までに色々なことに挑戦してみて、自分が面白いと思えることを見つける作業は、一見すると趣味的ではあるが、多分それは趣味ではないだろう。いずれプロを目指す、ということだ。
だから、面白そうなことに挑戦してみることはどんどんやるべきなのだろうと思う。
だがある程度の年になって、そういうことをやるのは趣味なのだ。で、趣味でそういうことをやれるというのは、余裕のある証なのだ。
一番痛いのは、余裕も無いのに、余裕があると勘違いしていて、趣味とかのんびりやっていることなのかもしれない。
少し前の自分がそうだったのだと気付いた。
2008年04月23日
夏へまっしぐら?
4月の頭には雪が降っていた。朝方は氷点下であった。
2週間後の今、25℃越えだ。
庭には一部雪も残っているのに。
ものすごい勢いで季節が変わるんですなあ、カナダ。
4月に入って、カナディアングースも帰ってきて、ガーガーいっている。鳥がさえずり、リスが駆け回る。
鹿が3頭庭先に来た。子供たちは大喜びだ。
春だなあ。なんてさわやかな。
さあ、雪解けした庭の掃除だ!雪の下に残っていた落ち葉を集める。
そこで目にするのは、鹿とリスの糞が散在...
春だなあ。なんてさわやかな(涙)!
むきになって、庭中を徹底的に掃除してやった。(その後、熱中症でフラフラになってダウン)
さあ、春だ。郊外に出かけよう!
そこで目にするのは、なんだか、わからない小動物のご遺体が道路上に散在...
春だなあ。なんてさわやかな(涙x2)!
どこかでたけしが書いていたエッセイを思い出した。
「人間は実は自然なんて嫌いなんだよ。本当の自然なんて人間にとってはそんな美しいことばかりじゃないし、自然災害だって自然の一部だ。」(詳細失念)

まったく関係ないが、近所の湖のガソリンスタンド。
まあ、こんな経験もやってみると面白いもんですなあ。
2週間後の今、25℃越えだ。
庭には一部雪も残っているのに。
ものすごい勢いで季節が変わるんですなあ、カナダ。
4月に入って、カナディアングースも帰ってきて、ガーガーいっている。鳥がさえずり、リスが駆け回る。
鹿が3頭庭先に来た。子供たちは大喜びだ。
春だなあ。なんてさわやかな。
さあ、雪解けした庭の掃除だ!雪の下に残っていた落ち葉を集める。
そこで目にするのは、鹿とリスの糞が散在...
春だなあ。なんてさわやかな(涙)!
むきになって、庭中を徹底的に掃除してやった。(その後、熱中症でフラフラになってダウン)
さあ、春だ。郊外に出かけよう!
そこで目にするのは、なんだか、わからない小動物のご遺体が道路上に散在...
春だなあ。なんてさわやかな(涙x2)!
どこかでたけしが書いていたエッセイを思い出した。
「人間は実は自然なんて嫌いなんだよ。本当の自然なんて人間にとってはそんな美しいことばかりじゃないし、自然災害だって自然の一部だ。」(詳細失念)
まったく関係ないが、近所の湖のガソリンスタンド。
まあ、こんな経験もやってみると面白いもんですなあ。
2008年04月17日
開発依頼!
前職では、退職にあたって、カウンターオファーがあった際に、受託業務で対応させてもらいますよ、という話があった。
最近になって、実際に依頼があった。
アメリカの顧客(しかもサンフランシスコにあるお客)向けのシステム提案と、開発である。
顧客の要求に合わせて提案書類と上流設計書類を作った。その結果、顧客からOKが出たという話が来た。
これから実際の開発に入ることになる。
私のところに依頼が来た理由を考えてみる。
まず、いくら人件費が安いからといっても中国に発注したりしない。
今回のような中小規模の開発では、中国の会社との間にブリッジエンジニアをたててやるとそんなに安くはならないからであろう。
また、コーディングだけの下請けの開発ではなく、上流設計から含めての発注である。まあ、社内でちゃんと設計できる人が少ないのは当方もよく知っているので驚くこともない。これで頼めるところが絞られる。
さらに、アメリカの顧客向けに提案資料を英語で書ける必要がある。国内の外注によっては対応しきれないであろう。
こんな条件があって私のところに開発依頼の話が来たというところであろう。
アーキテクチャから自分で決められるので、最新技術をふんだんに投入できるところもうれしい。自分のスキル向上にもいい機会である。
こういう仕事が定期的に来るようになれば、本当に住みたいところに住めるようになるなあ、と妄想膨らませているところだ。
まずは、このプロジェクトをきっちり片付けよう。
カナダの本業が17:00で終わるからこそ、こういう副業を計画的に対応出来るのも重要なファクターである。日本のエンジニアではこういう副業は対応できまいなあ。
最近になって、実際に依頼があった。
アメリカの顧客(しかもサンフランシスコにあるお客)向けのシステム提案と、開発である。
顧客の要求に合わせて提案書類と上流設計書類を作った。その結果、顧客からOKが出たという話が来た。
これから実際の開発に入ることになる。
私のところに依頼が来た理由を考えてみる。
まず、いくら人件費が安いからといっても中国に発注したりしない。
今回のような中小規模の開発では、中国の会社との間にブリッジエンジニアをたててやるとそんなに安くはならないからであろう。
また、コーディングだけの下請けの開発ではなく、上流設計から含めての発注である。まあ、社内でちゃんと設計できる人が少ないのは当方もよく知っているので驚くこともない。これで頼めるところが絞られる。
さらに、アメリカの顧客向けに提案資料を英語で書ける必要がある。国内の外注によっては対応しきれないであろう。
こんな条件があって私のところに開発依頼の話が来たというところであろう。
アーキテクチャから自分で決められるので、最新技術をふんだんに投入できるところもうれしい。自分のスキル向上にもいい機会である。
こういう仕事が定期的に来るようになれば、本当に住みたいところに住めるようになるなあ、と妄想膨らませているところだ。
まずは、このプロジェクトをきっちり片付けよう。
カナダの本業が17:00で終わるからこそ、こういう副業を計画的に対応出来るのも重要なファクターである。日本のエンジニアではこういう副業は対応できまいなあ。
2008年04月10日
スデニコノ否塞ノ運ニ際ス
坂の上の雲では、日清戦争についてこうある。
池田信夫blogの「失われた10年」の誤った教訓にこうある。
これを読んだときに、上記を思い出した次第である。
「派閥抗争は老朽化した国家の特徴である。かれらは敵よりも味方のなかの他閥のほうをはるかに憎む」と、なげいた。
結果は、丁汝昌の心配どおりになった。日本の第二軍が上陸するや、清国陸軍はほとんど抵抗することなく砲台をすてて逃げた。
要するに日清戦争は、老朽しきった秩序(清国)と、新生したばかりの秩序(日本)とのあいだにおこなわれた大規模な実験というような性格をもっていた。
中略
「もとより一、二の君臣の罪ではない。制度がわるいのである。その従来墨守してきた清国の制度の幣こそこの主要原因である。たとえば、官吏を採用するにあたって、文章試験をおこない、文芸の士を官僚に採用する。それが階をすすめて政治をとるにいたる。その制度はすでに千年前のものであり、依然として千年後にもそれを墨守している。なるほど制度そのものからいえばこれはかならずしも善美でないとはいえない。たとえば清国が世界から孤立しているという状態におくならばである。しかし一国の孤立独往は、こんにちの世界情勢ではのぞむべくもない」
「三十年前」
と、伊東(祐亨)は維新前後をいう。
「わが日本帝国がいかに困難な境遇にあり、いかに危険な災厄をのがれ得たかということは閣下のよく存ぜられるところであろう。その当時の日本は、自分の独立をまったくする唯一の道は、一国の旧制をなげすててあたらしい秩序にきりかえる以外にないとおもい、それを唯一の要件とし、それを断行した。そのおかげでこんにちの状態を得た。貴国もこれをなさらねばならない。これを要件となされよ。もしそれをしなければ早晩滅亡をまぬがれぬであろう。」
池田信夫blogの「失われた10年」の誤った教訓にこうある。
本質的な問題は、戦時体制以来(あるいは明治以来)つづく官僚社会主義にあり、それはほとんど変わっていない。90年代は、その最大の危機だったが、大蔵省は100兆円以上の負担を国民に押しつけて旧体制を守りきった。
これを読んだときに、上記を思い出した次第である。
2008年04月08日
農業国の時代?
ポータブルナビを買って、この手の家電商品は北米では世界的競争に晒されているのだなあと実感したのであるが、以前から気になっている商品がある。

プリンターだ。とくにこちらはブラザーのレーザープリンター複合機。
こちら先週末のBestBuyで$99.99。
いくらトナーカートリッジで回収するビジネスモデルかもしれんが、よくわからん値段になってきた。
カラーレーザーでも$200台からある。
日本では同モデルはないようだが、この下位モデルでも18,000円以上している。同等だとこれか?
仕入れ値は販売価格の6割ぐらいだろうから、$60とかでメーカー販社から出ていることになる。メーカー本体からはさらに3割減の$40ぐらいか。
こういうエンタテイメント性もファッション性もない製品なんて、機能がある程度差別化できなくなるととことんまで値段勝負になる典型的な事例であろう。
たまたま読んだ幸運に過ぎなかった「食糧輸入大国日本」( 08/4/7)にこうあった。
そして筆者が出張していたニュージーランドで、
というのだ。日本に変わって中国がニュージーランドの上客に取って代わろうとしているという。
うーむ。これからは農業か。
プリンターだ。とくにこちらはブラザーのレーザープリンター複合機。
こちら先週末のBestBuyで$99.99。
いくらトナーカートリッジで回収するビジネスモデルかもしれんが、よくわからん値段になってきた。
カラーレーザーでも$200台からある。
日本では同モデルはないようだが、この下位モデルでも18,000円以上している。同等だとこれか?
仕入れ値は販売価格の6割ぐらいだろうから、$60とかでメーカー販社から出ていることになる。メーカー本体からはさらに3割減の$40ぐらいか。
こういうエンタテイメント性もファッション性もない製品なんて、機能がある程度差別化できなくなるととことんまで値段勝負になる典型的な事例であろう。
たまたま読んだ幸運に過ぎなかった「食糧輸入大国日本」( 08/4/7)にこうあった。
普通は工業国の方が「お得」と思うかもしれない。工業製品の方が付加価値は高そうだし、技術革新もあるし、いかにも先進国という感じがする。ハイテク産業を育成して、世界的な企業が続々と誕生する、となればますますカッコいい。おそらく世界中の国の指導者が、そういう産業政策を思い描いているのではないだろうか。
しかし考えてみてほしい。ここ数年、工業製品の価格は下落が進む一方だ。そして昨今の国際競争の激しさを考えると、このトレンドが逆転する可能性はきわめて低そうである。何より、中国やインドとコスト競争をしなければならないということは、利益なき繁忙を覚悟しなければならない。加えて工業国は環境問題もあるし、資源も大量に使うので、今から目指すのはあまりお勧めではないようである。
そして農産物への需要は確実に増えている。世界の人口は増える一方であるし、新興国では経済成長によって生活水準が飛躍的に向上している。人はケータイやPCがなくても生きていけるが、メシは毎日食わないことには生きていけない。さらに言えば、農業は国土の環境保全にも役立つ。今の時代は工業国を目指すよりも、実は農業国の方が有利なのではないだろうか。
そして筆者が出張していたニュージーランドで、
農業国の立場は強くなり、工業国の立場は弱くなっている。ニュージーランドと日本のバランスも、少しずつ変わりつつあるように思える。
というのだ。日本に変わって中国がニュージーランドの上客に取って代わろうとしているという。
うーむ。これからは農業か。
2008年04月03日
北米仕様のポータブルカーナビを買ってみた。
TOMTOMとかいう、聞いたことの無い激しくダサい名前のメーカーであった。
オランダのメーカーらしい。
近くのBestBuyで$199。
これより下位モデルだと$159である。
こちらだと電気製品も$200-300以下でないと売れないというからこのあたりが売れすじであろう。
一方ソニーだと$500以上している。
使ってみて驚いた。
精度や最低限必要な機能は十分そろっている。衛星も8個ほどを、すぐに捕捉した。
地図は北米、アラスカ、ハワイを含むし、レーンの情報まで網羅している。
ルート検索も早い。
うーむ。十分だ。
不満といえば、
・36カ国語対応なのに日本語は入っていない。
・ボイスナビゲーションがマイルのみ。
というところか。
上位機種にはMP3プレーヤーの機能とか、要らない付加価値である。GPSの機能に絞ればこれで十分と言えよう。
昔10万円以上だしてCDタイプのGPSを買ったことを思うと隔世の感である。
日本だと4.3型では3万以上しているから、ずいぶんと安い。
日本に出張したカナダ人が、喜び勇んで秋葉原に行ったのだが、あまり安く買えるものもなくて、がっかりしたと言っていた。探しているところがあまいんだよ、とかいってやったが、強ちそうとばかりも言えないかも知れない。
激しく電機製品は安くなるし、いらん付加価値つけて高くしても売れないだろうし、メーカーも大変な時代なのであるなあと実感したのであった。
2008年04月01日
オタワ人のファッション感覚
オタワの人たちは基本的にファッションにはあまり拘らないようだ。
それも実感としてわかってきた。
冬は寒いので、着込めるだけ着込むので、おしゃれとかいってられない。
夏はその反動でか、オフィスでも半パンの草履とかでくるし。さすがにシリコンバレーでもこれは見たことが無かった。
同じバス停で乗る若い女性がいる。気さくに話が出来て楽しい感じの人だ。シャネルのバッグを持っているブロンドの美人タイプ。
「へー、こういう人もいるのか」
と思っていたのだが、見かけて以来半年以上、ずーっと同じバッグであった。毎日している髪留めも塗装が剥がれているし。
同じくバスでコートの背中の一部が破れている初老の女性がいた。
「ああ、今日は破れているのを気付かなかったのかな。」
とか思っていたが、結局冬中そのコートを着ていた。
女性もそんな感じなので、男性はさらにどうでもいい感じである。(含む自分)
シリコンバレーでもあまりファッションに気にかけていない人が多かったが、こちらはそれ以上であった。とはいえ、あちらほど太った人を見かけないので、そこまでみすぼらしい感じは無い。
まあ不潔な感じでもなく、単に金をかけてないということであろう。
そんな感覚で生きているので、服にお金をかけることへの解釈もだいぶ異なるようだ。
日本のブランチに30代前半の営業がいる。彼は細身でおしゃれで独身である。ブランドに気を使っている。日本では普通にいるタイプだ。
彼も本社に出張してくることがある。
そんな彼へのこちらの人々の大方の印象は、こうであった。
「彼は、ゲイなんだろう?」
こらこら!
そして、日本へ出張したエンジニアからの質問。
「なんで、日本人は地下鉄で、あんなおしゃれしてるんだ?」
うーむ。まあ、地下鉄乗ってパーティ行くとか想像できないだろうなあ。
多分普通に通勤してるだけなんだろうが、それはもっと想像できまいな。
私個人としては、こんなオタワの感じが楽であるのは言うまでも無い。
それも実感としてわかってきた。
冬は寒いので、着込めるだけ着込むので、おしゃれとかいってられない。
夏はその反動でか、オフィスでも半パンの草履とかでくるし。さすがにシリコンバレーでもこれは見たことが無かった。
同じバス停で乗る若い女性がいる。気さくに話が出来て楽しい感じの人だ。シャネルのバッグを持っているブロンドの美人タイプ。
「へー、こういう人もいるのか」
と思っていたのだが、見かけて以来半年以上、ずーっと同じバッグであった。毎日している髪留めも塗装が剥がれているし。
同じくバスでコートの背中の一部が破れている初老の女性がいた。
「ああ、今日は破れているのを気付かなかったのかな。」
とか思っていたが、結局冬中そのコートを着ていた。
女性もそんな感じなので、男性はさらにどうでもいい感じである。(含む自分)
シリコンバレーでもあまりファッションに気にかけていない人が多かったが、こちらはそれ以上であった。とはいえ、あちらほど太った人を見かけないので、そこまでみすぼらしい感じは無い。
まあ不潔な感じでもなく、単に金をかけてないということであろう。
そんな感覚で生きているので、服にお金をかけることへの解釈もだいぶ異なるようだ。
日本のブランチに30代前半の営業がいる。彼は細身でおしゃれで独身である。ブランドに気を使っている。日本では普通にいるタイプだ。
彼も本社に出張してくることがある。
そんな彼へのこちらの人々の大方の印象は、こうであった。
「彼は、ゲイなんだろう?」
こらこら!
そして、日本へ出張したエンジニアからの質問。
「なんで、日本人は地下鉄で、あんなおしゃれしてるんだ?」
うーむ。まあ、地下鉄乗ってパーティ行くとか想像できないだろうなあ。
多分普通に通勤してるだけなんだろうが、それはもっと想像できまいな。
私個人としては、こんなオタワの感じが楽であるのは言うまでも無い。